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人工衛星で見るウクライナ暗いキャロル

National Security News 12/22/22の記事の翻訳です。衛星通信会社のマクサ・テクノロジーズ・インクは、歴史的に重要な意味を持つウクライナの文化遺跡に対するロシアの攻撃を記録するために、国連に協力している。衛星画像 ©2022 マクサール・テクノロジーズ。

1922年10月、ウクライナ国立合唱団は、ニューヨークのカーネギーホールで、アメリカの聴衆に「鐘のキャロル」を紹介した。元々はミオラ・レオントヴィッチ作曲のウクライナ民謡「Shchedryk」で、ボルシェビキ革命後のソ連の積極的な拡張主義に対抗して、ウクライナの独立を全米に呼びかけるための緊急事業として上演されたものである。

それから100年後、カルマンラインを越えた静止軌道上の宇宙空間で、ウクライナの主権を守るために、全く別の合唱団が演奏している。これらの衛星は、平均して長さ12〜18フィート、幅8〜10フィート、総重量4,200〜6,200ポンドの商業衛星と軍事衛星で構成されており、ロシアの戦争犯罪、人道に対する罪、ウクライナの文化・歴史遺産の意図的破壊というはるかに暗いキャロルを、常に警戒して証言しているのである。

地上100~300キロの軌道上にあるこの衛星の電気光学レンズの軍隊は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナでの国家公認(国家命令ではないにしても)の残虐行為を毎日撮影しているのである。ブチャ、イジューム、ハルキウ、そして今へルソンにある集団墓地の画像は、ロシアの最も恐ろしい犯罪の証人となるものである。男性も女性も子供も、かつて子供達が遊び、農民が小麦を植え、穀物を収穫した畑で、まず殺され、そして捨てられた。

しかし、宇宙は寒い。摂氏マイナス270.45度(華氏454.81度)にもなる。人工衛星のオーケストラは、ウクライナの死者の喪失感を感じることはできず、むしろ記録するのみである。マリウポリにあるドネツク学術地域ドラマ劇場の1年前の対照的な画像は、著しい変化と本質的な街の死を物語っている。以前はクリスマス・イルミネーションや宇宙から見える華やかな装飾で輝いていたのに、爆撃で破壊された舞台芸術センターとその周辺のテアトルナ広場は、今年の12月には不気味なほど暗くなっている。

爆撃される前の月曜日のマリウポリ劇場のサテライト。 歩道に白い文字で「こども」と書かれている。 衛星画像 ©2022 Maxar Technologies.
その後の劇場での荒廃と破壊の光景。 写真: AP

3月14日のマクサーの衛星写真では、建物の前後の地面にロシア語で「子供」(Дети)という文字がはっきりと刻まれていたにもかかわらず、この劇場がロシアの激しい砲撃を受けて、避難していた市民600人が死亡したと推定されている。かつてその舞台で演奏された「鐘のキャロル」は、悲劇にも死者のキャロルに成り果てていたのである。

軍事衛星は戦場の変化検知に優れている。構造物の損失。防衛線。兵力の増強。戦没者とは異なり、商業衛星や軍事衛星のセンサーは、生きている人の心の動きや精神の変化を検知することはできない。人間の忍耐と克服の決意と能力も、喪失感も。

キーウでキャンドルの光に包まれて踊るダリナ

しかし、キャンドルはキーウの冬の午後と夕方の暗闇の中、その精神を垣間見ることができるのである。4歳のバレリーナ、ダリナは、白鳥の真似をして優雅に練習している。数ブロック離れたロウソクの灯りに照らされたサルダルムの中では、フェンシングの格好をした兄のイワンが、架空の標的に向かってエペを突き立てている。

クリスマスが近づいても止むことのない戦争の中で、つかの間の安らぎを得る。だが、戦時中の平穏は犠牲を伴う。2人の子供達は、キーウの地下室で学校に通うことを余儀なくされている。フラッシュカードに代わってフラッシュライト(懐中電灯)が使われ、クラスメートと一緒に教科書を読み、科学プロジェクトを完成させ、数学に取り組んでいる。

イワンとダリナの幸せな時

プーチンのミサイルや無人機による攻撃は、ダリナとイワンを夜間に近くの田舎に移すことを母親のカテリーナが決めたため、今ではダリナの日々は更に長くなっている。10月初旬、キーウ中心部にある彼女のアパートの近くにあるシェフチェンコ公園は、かつて子供達が定期的に遊んでいた場所だが、ロシアのミサイルに攻撃された。子供達の笑い声が響いていた遊具があった場所には、金属がねじ曲がり、爆弾のクレーターができた。

キーウの近隣のアパートが被災し、若い夫婦(女性は妊娠中)が死亡した後、カテリーナさんは引っ越しを決意した。若い家族は、夜間の安全性と昼間の危険性のバランスを取りながら通勤している。このように、戦争中は平穏な生活を求めて、個人的なトレードオフ=妥協点を見付けて折り合いを付ける作業が繰り返される。

カテリーナ、イワン、ダリナ

人工衛星であれ、ロウソクの灯りであれ、文化やアイデンティティーの喪失は、捉え難い。それは、被災者の精神と心の奥深くに埋もれている。ウクライナの歴史とアイデンティティーの喪失を測るため、ナショナル・セキュリティ・ニュースは、プーチンの「特別軍事作戦」を生き延びようとするキーウ在住のウクライナ人4人に単独インタビューを行った。

失われた、あるいは損傷した文化遺跡や歴史的象徴の中で、ウクライナ人として最も意味のあるものは何か、それぞれに尋ねてみた。イワン君(10歳)、母親のカテリーナさん(36歳)、ナターリアさん(35歳)、同僚のラリサさん(34歳)。4つの物語には、苦難、忍耐、勇気、決意が込められており、それは「鐘のキャロル」のメロディーの核となるシュチェドリクの4音オスティナートモチーフによく似ている。

イワンは、非日常を生きる典型的な元気な少年である。妹のダリナを大切にし、FCレアル・マドリードの大ファンである。戦争が終わったら、ロンドンとマイアミに行くのが夢。身長150cmのイワンは、開戦後、母親が自分と妹をラトビアに避難させた後、断固としてキーウに戻ることを決意した。

ロシアの爆撃機に狙われる前に撮影された「ムリヤー」の衛星写真。衛星画像 ©2022 マクサール・テクノロジーズ
爆撃後、かろうじて解析できたみんなに愛された飛行機の残骸。衛星画像 ©2022 マクサール・テクノロジーズ

戦前のウクライナで一番懐かしいものは何かという質問に、黒いTシャツにカーキのGAPのジャケットを着たイワンは、断言するように答えた。"ムリヤー "です。」戦前、世界最大の飛行機として名を馳せたアントノフAN-224は、開戦直後のアントノフ空港の戦いでロシア軍に破壊された。

この飛行機は、イワンに言わせれば「学校の制作プロジェクト」であった。領収書も持っていた。彼のスマートフォンには、2021年の夏のパレードでキーウの彼の近所を飛び回る「ムリヤー」の動画が保存されている。黒い革張りのソファに座り、万が一ロシアの巡航ミサイルが飛んできてもガラスが当たらないように白いブラインドを下げ、少し大きめだがスタイリッシュな黒縁メガネをかけたイワンは、英語で「きっとまた建設するよ」と誇らしげに言い放った。「待ってるんだ。」

イワン君の母カテリーナさんは、子供達の安全を心配している。しかし、彼女は、プーチンがウクライナのナショナル・アイデンティティーから奪っている文化的・歴史的な場所やモニュメントについても心配している。15歳の時、修学旅行で訪れたハルキウ州の小さな村スコヴォロディニフカにある国立文学博物館のような場所である。

18世紀のウクライナの哲学詩人であり、教師、典礼作曲家でもあったフリホリ・スコヴォローダの自宅と埋葬地であったことから、この名がついた。5月7日、ロシア軍の意図的な砲撃により、完全に破壊された。中世の写本、美術品、絵画、文学など、かけがえのないものが、やがて建物を包む火災で失われた。

カテリーナさんは、スコヴォローダを「ウクライナのソクラテス」と呼び、この博物館を訪れた際に「神秘的な」つながりを感じ、芸術や人文科学の分野、ひいては広報を職業にしたいと思うようになったそうだ。今、カテリーナさんがイワン君とダーリナちゃんに見せる思い出の品は、お母さんがメールで送ってくれた色あせた写真だけだ。

ボロディヤンカ市広場にあるウクライナの詩人タラス・シェフチェンコの記念碑。衛星画像 ©2022 Maxar Technologies
弾丸と破片の跡が残るタラス・シェフチェンコの銅像。写真 AP

ロシアは、当初はそうではないと主張していたが、敵対関係が始まって以来、ウクライナのナショナル・アイデンティティーを繰り返し標的にしている。キーウの西のはずれにあるボロディヤンカという小さな地方都市では、タラス・シェフチェンコ(ウクライナのシェイクスピア的な「吟遊詩人」)の記念碑でさえ、その言語学的業績と詩が現代のウクライナ文学と話し言葉を支えていると広く考えられており、ロシアの砲火にさらされた。

キーウにあるコンサルティング会社のシニアプロジェクトマネージャーであるナタリアは、シェフチェンコと彼の像を「ウクライナの独立と自由への意欲」の象徴として説明し、この故意のロシア冒涜行為に目に見える程、激怒していた。ロシア人は「テロリスト」であり、「民間人や市民インフラだけでなく、ウクライナのアイデンティティーや文化遺産に対する軍事犯罪」を犯したと非難している。砲弾の跡が残るが、ウクライナの独立を象徴するこの記念碑は、断固として立ち続けている。

ユネスコの歴史的重要文化財に指定されても、スヴャトゴルスカ修道院の空襲は防げなかった。衛星画像 ©2022 Maxar Technologies
ゼレンスキー大統領がテレグラムに載せた写真は、その後修道院で猛威を振るった火災の様子である。
地上から撮影された写真は、St George's Sketeのひどい被害を示している。写真 AP

教会、学校、産院でさえも、ロシア軍の攻撃からは安全ではなかった。これは、モスクワが加盟しているジュネーブ条約の4つの議定書に基づく、全ての戦争犯罪だ。特に、洞窟大修道院のスヴャトゴルスカの聖なるドーミションが消滅したことは、ルハンスク出身の作家であるラリサにとって、特に心を打つものであった。

ドネツクのセヴェルスキー・ドネツ川左岸にある絵のように美しい聖なる山に位置する大修道院は、1526年に設立され、エカテリーナ大帝による閉鎖、第二次世界大戦、ソビエト政権を経て、496年の歴史を持つ修道院は、ロシアの砲撃で部分的に破壊されるまで生き延びてきた。ラリサは両手を合わせて、「白亜の山に彫られたものなので、被害は取り返しがつかない」と痛烈に指摘した。

ラリサが「ウクライナ正教会の最も重要な聖堂の一つ」と称する大修道院は、かつては白い壁だった大修道院の聖ジョージ・スケーテがロシアの空爆で倒れ、黒く変色するなど、一部が廃墟と化してしまったのである。しかし、ラリサさんにとって、修道院の荒廃、そしてその壁の中に避難していた民間人の負傷は、単にウクライナの国民性の喪失以上のものである。

それは、普遍的な人間性の喪失だ。多くのウクライナ人がそうであるように、ラリサも自分の世代だけでなく、次の世代に何が失われるかを考えている。次の世代が「自分の目で見て」「自分の手で触れる」ことができるように、世界中の文化・歴史遺産を「守ること」が重要だと考えているのだ。

キーウではクリスマスが近づいているが、かつてウクライナの伝統的なアドベントリースやモミの木に灯されていたろうそくは、戦争で荒廃した首都で生活、仕事、通学に使用されるようになっている。かつてはイワンやダリナのような子供達の笑い声があふれ、お祝いのイルミネーションや飾り付け、カーニバル、アイススケート場、雪化粧したクリスマスツリーで埋め尽くされていたウクライナ中の街の広場は、ハルキウの中央広場、へルソンの自由広場、キーウのソフィア広場、マリウポリのテアトルナ広場などで戦禍を受けながら、今は暗いまま横たわっている。

クリスマスの話題は皆無で、プーチンが負けるであろう新年の抱負だけが語られている。カテリーナは、ロシアのミサイル攻撃による停電で中断され続けたメールのやりとりの中で、イワンが繰り返し見る夢について指摘した。戦争が終わったという夢だ。そして目を覚ます。彼の心理学者(カウンセラー)は、それはウクライナではよくある夢で、イワン一人ではないと言う。

しかし、イワンの夢は、今のところ、更に暗い悪夢に変わりつつある。12月19日、ウクライナの聖ミコライの日(聖ニコラスの日)、彼の家族は、ウクライナの防衛システムが飛来するロシアのドローンと戦う中、空から5時間に及ぶロシアの攻撃に一晩中耐えていた。まるでプーチンが「枕元のプレゼント」ではなく「爆弾」を置いていったかのように、1機のドローンが彼らの家の近くに衝突し、電気、携帯電話、インターネットへのアクセスを中断させた。

7500キロ離れたニューヨークのカーネギーホールとグランドセントラル駅では、100年後のウクライナの新しい児童合唱団が、イワンの夢が厳しい現実から実現するようアメリカ人を鼓舞するために、親善ツアーで再び「鐘のキャロル」を歌っているのである。注目すべきは、Shchedrykは当初、新年の歌であり、その歌詞は豊かな新年を切望するものであった。カテリーナ、ナターリア、ラリーサはただ願うばかりである。

一方、ダリナとイワンは、暗闇の中、ろうそくの光で負けずに踊りやフェンシングをやり続け、彼らの上空にある人工衛星は、このクリスマスの季節、キーウとウクライナ全土で、魂を込めてとは言わないまでも、暗い破壊のキャロルを静かに記録し続けているのである。

著作権:2022年 マーク・C・トス、ジョナサン・E・スウィート。All rights reserved.

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