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南禅寺に導かれたような気がした話

京都に行く用事があったので、ずっと行きたいなあと思っていた南禅寺に来ました。(好きな人がここのご朱印帳持ってるって聞いたもので、、)


冬の京都らしく、凍てつくような、でも背筋がすっと伸びるような、澄んだ冷たい空気に満ちた早朝の南禅寺。

山門

今日は2023/12/24。クリスマスイブに一人で朝から南禅寺に来る30代半ばの女性は私だけだろうなんて思いつつ、人がまばらな境内を、澄んだ贅沢な空気を味わいながら、たくさん深呼吸をして進む。

サスペンスドラマとかでみたことがあるような気がする疏水橋

1. 花語らず

本坊に入って、まず心惹かれたのがこの詩。

花語らず(柴山全慶老師)

一時一処にこの世のすべてを托している
永遠にほろびぬ生命の歓びが悔なくそこに輝いている

花語らずより

この表現がまっすぐすとんと胸の中に入ってきて、なんだか勇気づけられたような、力をもらった気持ちになって「今日、ここに来てよかった」と感じたのでした。

2. 方丈

そして方丈へ。誰もいない。ひとりだけの時間。

方丈(国宝)

荷物を置いて、座って、今年起こったことを考えてみる。
年明けから春頃までは病気と向き合う時間。
そのあとは仕事。推し。そして不妊治療。

ふと、私の本当の心はどこにあるんだろうって浮かんできた。 
けど、そのすぐ後に「本当の自分なんて居やしねぇよ」って一蹴する声が聞こえてきた気がした。数年前から、わたしの大好きな6人の力強い声。

そうか、答えは「こっから」にあったのか。
確かに2023年はこの曲にずっと励まされてきたなあ。

3. 六道庭

そして、次に出会ったのが「六道庭」。

六道庭

この「六道庭」は六道輪廻の教えを考える庭である
六道輪廻とは 天上動・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つの世界を私たちは生まれ変わり続けるという仏教の世界観をいう
道とは世界のことである
一面の杉苔の中に配石された景色を眺めながら静かに現実を直視すると煩悩に迷い涅槃の境地に達することなく六道を輪廻する我々凡夫のはかなさを想う

(現地の案内より)

わーーーー なるほどなあ。
少しジメジメしかけて、「本当の自分なんて居やしねぇよ」って一蹴されたあとに来るのがこれか。

現実を直視して、凡夫の儚さを想う と。
咲いては散っていく花も儚いけれど「永遠にほろびぬ生命の歓びが悔なくそこに輝いている」んだもんな。
儚くたっていいじゃない。

6つの世界を生まれ変わり続ける。(あ、ここも6だ。)

4. 不識庵と窮心亭

先を進むと不識庵と窮心亭にあたった。

奥に見えるのが不識庵

「不識」とは、昔、達磨大使が梁の武帝と対面したとき「わたしの前にいるのは誰か」と問われて「不識(識らず)」と答えた。
自分を説明しようとしても言葉では真の自分を説明し尽くすことはできず、自分から離れてしまう。
本当の自分とは何なのかを知るためには、心を窮めていかなければならない。

「窮心亭」は(中略)まさに不識の心を窮めていく道場である。

(現地の紹介文より)

はあああああああ なるほど。
「本当の自分なんて居やしねぇよ」というのは、言葉では説明し尽くすことができないという意味で、確かに一理あって、だからこそ、闘志を燃やして、燃やして、どうしようもないままでも、いつもこっから始まるのか。

順番通りいってなくても、転がりながら、よりどりみどりの一生を楽しめばいいんだ。納得。


導かれたのかな。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!