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東大卒で声優になった職業選択〜母親の呪縛から逃れられない幼稚な人間の幼稚な労働動機〜

私の最初の「人生の選択」は高校3年生のときだったが、結果的にそれは「選択」にならなかった。


私の家系は、父は医者、祖父も医者、曽祖父も医者、伯父も医者。なんなら後に妹も従兄弟も医学部を卒業。家族で唯一医者でない母も医学系の研究者。生活の中で普通に医学用語が飛び交う家庭で育ったが故に、逆に私には医学の道は関係ないと早々に決めていた。


他に圧倒的にやりたいことがあった。


高校生当時私はアニメが大好きで、大好きなアニメのキャラクターを演じて命を吹き込む声優という職業に就きたいと思っていた。高校3年生の夏、母に「声優になりたいから、高校卒業後は大学に行かずに声優の訓練をしたい」と告げた。


母は猛反対。怒鳴られ蹴られ殴られ。意識も朦朧として何を怒られていたのか理解できなかったが、「声優になる」ということがとてもとても「ダメ」なことであることだけは伝わった。


昔から私は「いい子」だった。親と先生の言うことは全て実行した。小学校一年生のときに学校の先生に指示された「天声人語の切り抜き」は10年以上続いたし、「日記」は今でも続いている。


全てを指示通りに忠実にこなすので、逆に言えばただそれだけの理由で、成績は常によかった。


生まれたばかりの赤ちゃんは大人に保護してもらうしかない以上、人間にとって親を中心とする大人という存在はある程度の成長過程まで神のような存在だが、それが私は高校生まで続いていた。「反抗期」という己の哲学の形成過程を経験できていなかった。


そんな私だから当然親の反対は絶対的。高校3年生の時、声優の「夢」は諦め、その時点から親のすすめるように大学受験勉強を開始。


受験する生徒はほぼいない高校で、ほとんどの生徒が高校3年生の1学期までの成績の推薦で大学が決まっている中、予備校も通わず受験に関する情報がほぼ入らなかった私は、時期も時期だったので、母の出身校だからという理由で急いで受験校を選んだ。


大学選択において何も考えていなかった。


高校3年生の3月10日、東京大学教養学部前期課程理科二類に合格。合格自体は素直に嬉しかった。家族も周囲も祝福してくれた。
4月に入学。


何も考えていない大学進学は、矛盾を産んだ。学業に身が入らず留年と休学を繰り返した。


何か他にやりたいことがあるという思いだけが常にあった。


専攻であった物性物理そっちのけで、プログラミングと語学ばかり勉強し、走り回った。


新しいことはなんでも手を出してみた。


部活の全国大会優勝、サークル掛け持ち、ハッカソン優勝、政策立案コンテスト優勝、ミスコン優勝、コスプレでの海外パフォーマンス、お金もらってダンスパフォーマンス、映画出演、長期インターンシップ、学生団体設立、ビジネスコンテストのはしご、起業。ちょうどマスメディアで東大ブームがあった時期で、テレビ出演する度に「新しい何かへのお誘い」という誘惑が絶えなかったし、全てに飛びついた。


どれも一つ一つは達成感があった。でも、何かが足りない。だから次から次へと手を出した。


目の前にくることを、次から次へとやり続けるのは苦しかった。体も精神も保たなかった。20代前半は今の3倍以上収入はあったが、今の500倍辛かった。二日に一度5時間寝るのがデフォルトで徹夜なんて日常茶飯事。カフェイン錠剤とエナジードリンクが主食。常にイライラして、人間関係と内臓を壊し続けていた。


学費も生活費も自分で払えるようになった一方、もう大学なんて卒業しなくていいと思えるようになった。何も明確にやりたいことがなく、常に苦しみながら走り回っている私を見て、それでも母が「大学だけは卒業してくれ」と言う。


続いて母の言った言葉。


「あなたが高校生のときに『声優になりたい』に反対したことは後悔している。」


私の、神は死んだ。「死んだ」というより最初からいなかったことを突き付けられた。


今更そんなこと言わないでくれ。いつも絶対的だった「母」よ、間違いだったなんて言わないでくれ。何も間違いじゃないから。私を「正しい道」に導いてくれ。常に私を殴って怒ってきた母よ、今更私の自由意志を認めないでくれ。


その言葉で、誰よりも「自由な学生生活」を謳歌しているように見えた私は、人生で初めて「自由な人生」を考える必要に迫られた。
正直母に言われる頃には、「自分が声優になりたかった」なんてすっかり忘れていた。


それから私がやったこと。


なんとかギリギリ大学を卒業した。
声優養成所に入った。
1年目が終わる間際に、初めての声優の仕事が始まった。すぐに声の仕事だけでも「食える」状態になった。声優事務所に所属した。


もちろん修行はしているものの訓練歴は圧倒的に少ないので声優としての技術は全然。それでも、今のところ仕事がいただける理由は、語学力などだが、「東大卒」の肩書きがなかったら人の目にも止まらず、得られなかった仕事ばかりだと思う。


母が大学入学を薦めてくれなければ、今の形で「声優」の仕事をすることはできなかっただろう。


母は私に対していろいろ後悔しているのをひしひしと感じている。


まともな親なら、娘が17、8歳から役者を目指すのを反対するのは普通だし、当時の私には、親を説得し続けるとか、その時声優の学校に入るためにバイトして貯金結構貯まってたから今まで育ててくれた恩など無視して親と縁切って声優目指すという選択肢もあったはずなのに、それしなかったということは、当時の私の気持ちはその程度だったということなので、親が仮に反対しなかったとしても、当時の私では声優としては上手くいってなかっただろう。


当時私の良くなかったところは今よりも視野が狭く「声優は遅くとも10代のうちに生活の全てを注ぎ込むくらい全力で準備し始めないと絶対無理」と強烈に思い込んでいたところ。だから、すっぱり諦めてしまった。その結果今技術不足を取り返そうと必死に奮闘することになっている。


親が何を言おうが子供の人生は変わらないだろう。

子供が生きているのは、子供の人生であって母親の人生ではない。

私が生きているのは、私の人生であって母の人生ではない。


しかし、私は良い親を持って幸せだと思っている。人生は一度きりだが、もしも生まれ変わることがあるなら、また母の子として生まれたい。


母の後悔を不要なものだと証明できるのは私だけだ。


今私がはたらくのは、自分の命を削ってでも何をしてでも働きたい働き続けたい良い結果を残したいと思うのは、ユーザーのため、キャラクターのため、作品のため、全ての関係者さまのため、自分のため、社会のため、エンタメの力で世界を変えるため。

そして、母のため。

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