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ツイッターでのクリエイター活動を止められない君たちへ

ツイッターは基本的に意味のある情報は与えられないと思った方がいいが、少ない文字数で解釈の余地と感情は与えられるから、短歌みたいな楽しみ方も可能と思っている。

他人のツイートで嬉しい気分になったり、怒ったり、悲しい気持ちになったり、少しでも楽しくなったことはないだろうか。恐らく商業利用以外の多くの人がこういう経験をしているから、Twitterを利用している。利益もない感情もない場所に人は集まらない。

私が今まで怒りを覚えたツイートで9年くらい経った今でも覚えているのは「人に迷惑をかけてはいけませんって小学校で習わなかったのか?常識だろ」というツイート。
もし小学校で本当にそれ教えていたのならひどい道徳教育というかむしろ洗脳に近いと思うし、一体何人の人を殺してきた論なんだろうと思った。
もちろんツイート主には何かイラつく出来事があって、人の生命に関わるような状況ではないであろうことは推察できる。しかし、「常識」という、コミュニティーや個々人によって意味や内容が変わるワーディングで自分の憤りをSNSに流すのは暴力的だなと思った。もちろんツイートするのは自由だが。

私の具体例の元ツイートはがあまり文学的ではないツイートであったが、9年も覚えているのはすごい力だ。
ツイッターはまともな情報は伝えられないが、感情を伝えることはできる。
言葉の力は偉大だ。 平安時代の貴族は5・7・5・7・7で表現活動をしてきた。
140字以内だとしても、渾身の1ツイートで他者に喜怒哀楽何かしらの感情を与えられるならそれはもうアートだ。

だからこそ、言葉の力を侮ってはいけない。一つのツイートは誰の目にも留まらない可能性も、誰かを少し怒らせる可能性も、誰かを少し喜ばせる可能性も、誰かの人生を救う可能性も、誰かの人生を奪う可能性も秘めている。凶器を手にしている自覚を持て。

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