Mrs. Green Appleの「コロンブス」のMVについての一連の動きを見ながら、いち子ども英語教育者として感じていることと学んでいること。

ブラッドフォードゆり絵です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。

普段は月に一回しか更新しないけど。

Mrs. Green Appleというバンドの「コロンブス」という楽曲のMVに差別的な表現があったという件について。


私は、このバンドのボーカリストの大森元貴さんの才能にめちゃくちゃ惚れてます。

でも
どちらかというと今回は、
普段から私がアンテナを貼っている「差別」とか、そういう、自分の活動に通づる内容だったこともあって、とても興味深く(表現間違えてるかな。)一連の流れを遠くから見ています。

大森さんが差別者か、とか
楽曲がどうとか、そういうジャッジめいた話しではなく。

私はファンだからずっと応援します!!とかいうことを表明したいわけでもない。


私が大森さんの才能に心底惚れていることとか、
曲が、歌詞が、声が素晴らしいとかそういうのは、
ここではどうでも良く。

世は、
結局誰が悪いとか、責任はどこにあるかとか、
大森さんの「制作側の配慮不足だった」という迅速な謝罪とか、
コカコーラ社が「いかなる差別も認めない」といって契約を打ち切るとか。
そういう世間の観点はひとまず傍に置いておいて。

子どもに英語を教えている教育者として、

また、インターナショナルスクールにも勤めながら、
外国人(アメリカ人で黒人の)と国際結婚をしていて、
「多様性」という大きなテーマを掲げながら活動をしよう、したい、と考えている身として、

今回の騒動から大きく学ぶ点があると感じています。



というか、ある意味では、
Mrs. Green Appleのファンの若者と、
我が国日本は
すごく大切な事を学べるキッカケを得ているんじゃないかなとすら感じる。
(やっぱり大森さんすごいわ〜)



今回この騒動があって、
アメリカ人で黒人(普段はこういう言い方はしないけど今はわかりやすく。)の私の夫は、

問題とされるビデオを見ずとも

『コロンブス』
『類人猿』
というこの2つのキーワードだけで

「信じられない」と即答していた。

まず第一ここに、
「アメリカと日本の教育の違い」
を見せつけられる。

見せつけられるというと
アメリカの教育が進んでいるような表現になるが、
そういうことよりも、
観点の違いとか、私たちが学校で教わる内容の差が見える。

日本が博識に乏しいと感じるという意見や見解もあるけど、
でも、これって本当はもっと奥深い、日本の教育そのものを客観視出来る機会なのかもしれないと思う。


そして夫は続けてこうも言っていた。

「日本には”そういう事”をいう人が本当にいない。”何か”が起きてからいつも、”あ〜変えなきゃね〜”となる。」。

これもまた、まさに今、日本で、大森さんに、起こっていること自体が日本の闇の可能性すら見え隠れする。ような気がする。
(ポンコツ夫よ学びをありがとう)



まあ私も、偉そうな事を勝手に述べて、たんなる教育者の端くれが!と叩かれる(はずなんてないくらい狭い世界にいるけど)のは怖いので、

あくまで今回のことで
「子どもに英語を教えている者」として思った事。


それは、
ずっと一貫しているけど、
やっぱり、

この時代に私たちが学ぶべきことは、
私が教えたいことは、
『英語』じゃないんだと言う事。
(英語の先生なんだけどね!)


『英語を学ぶより何より先に私たちが学ばなくちゃいけない事』

その答えが、ヒントが、この一連の騒動の中に、あるような気がして。



それは「歴史を知って学ぶこと」かもしれない。
それは「差別をしないこと」かもしれない。
それは「忖度をしないこと」かもしれない。
それは「表現の自由とは何かを考えること」かもしれない。
それは「多様とは何かを考えること」かもしれない。



少なくとも私は、
日本に生きる日本人として、

なぜあのMVがこんなにも社会問題になったのかを知ったり考えたりするきっかけを貰えたし、

たまたまアメリカ人で黒人の夫を持っていたことで、
アメリカと日本の歴史における教育の観点の違いを実感するきっかけにも出会えた、

ひいては、
コロンブスがナポレオンがヴェートーベンが誰で
歴史上どんなことを成した人物だったのかを改めて勉強してみようとも思った、

そして、何よりこういうことすべてを通して

どうしたら自分の仕事に生かせるか、
我が子に、そして自分の元に英語を学びに来る子どもたちに、
どうやって砕いて教えて行くことが出来るかを考えるきっかけになった。



この事に対する社会の制裁とか、

大人の世界のことは全く分からないけど、


長い人生のうちの大きなおおきな学びを、

いま、私たちはこの社会を通して与えられていて、

また、大森さんはとてつもなく大きな代償を払って、
沢山の、若者たちに与えたんじゃないかと

そんなふうにおもえる。


結局
大森さん上げみたいになっちゃったけど
断じてそんな意図はなく(もちろん応援しているけど🍏)


どんなことにも言えることだけど

嘆いてる暇、
叩いてる暇、
暇があるなら、
そのなかから
「私」は何を学び、反省し、
そして社会に、人の為に生かしていけるのだろう

って考えることが大切だよね。



さ、みんな、
自分のやることやろう!


私のやることは、

隣のお友達の手を優しくとることのできる子どもを増やすこと。



全集中!!!
(古っ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?