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子どもはやっぱり子どもだった。前編

ブラッドフォードゆり絵です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。

前回の投稿から間がほとんど空いていませんが、今日は自分のなかでとても忘れたくないと感じた出来事があったので筆(ラップトップの)を取りました。


突然ですが、
このブログを読んでくださっているママたちに聞いてみたい。

(自分の)子どものことを(言えばわかると)信じていますか



子育て雑誌なんかをペラペラ読んでいると

昨今の流行なのでしょうか?

子どもには子どもの世界があって、
自分で考え、自力で成長していく力がある。


周りの大人が手や口を出しすぎず、意見を押し付けず
子どもの想いを尊重して成長を「見守る」ことが大切です。

とか

子どももひとりの人間。
まずは子どもにどうしたいかを選択させてあげましょう。

とか


わりと、

子どもを親の所有物ではなくひとりの人間として見る。見なさい。
みたいな

子どもの人権や尊厳を尊重しましょう。(当然のことなのですが)

みたいなかんじが、強めではありませんか?

私のアンテナに引っかかるだけかな?


そんな私も類に漏れず

子育ては基本的には

子どもの意見優先

何をしたいか、どうしたいのか

しっかり自分の頭で考えて欲しいし
また考えられるようになってもらいたし

Use your words. 
(自分の想いを言葉を使って伝えなさい)

は我が家の子育ての柱になっていると言えるくらい
大切にしているモットーです。



少し私の話しになってしまいますが


私はずっと(いろんな意味で)両親に守ってきてもらったおかげで

30歳も後半になった今もなお

自分で出来ないことが多いです。

自立が遅い、というのかな。


自分の気持ちを自分の言葉で表現出来ないこともそのひとつ。


そしてそれに対して私は自分にすごくコンプレックスがあります。


何が好きで何をしたいのか


いつも、

両親が先回りして私の気持ちを代弁してくれていたおかげで

いつからか、

自分の気持ちが自分でも分からない自分、が完成していました。


自分の言葉を使わなくても
誰かが表現してくれていたし

私の代わりに私のしたいことをしてくれる言ってくれるおかげで

自分でやらなくても誰かがやってくれる。

いつからか

他人軸

で生きる自分が


もしかしたら今も

いるの、かも。



そんなバックグラウンドもあって

自分勝手だとは思いながら

息子には

自分の気持ちを自分で表現出来るようになってもらいたい


好きなものは好き、嫌いなものは嫌い

欲しいものは欲しい

自分の言葉できちんと伝えられる人間になって欲しい。


どこかでそんな想いがあるから

まずは、いつも、息子の気持ちを聞くようにしてきました。


そして当然のように

子どもであろうと意志はある

自分の好きなものを自分で選択させること


息子にとって必要なことだし

息子にとって善いこと

そして息子には出来ること

と、信じていました。


だから私のなかには

言っても分からない
とか
どうせ子どもなんだし

とかっていう気持ちはほぼなく

いつも

息子に向き合い

子どもとして、というよりも

ひとりの人間として

息子に接していました。


きっと、
どのママもそうだよね?




長くなってしまったのでいったん休憩。
(はたして第二弾はいつになるやら)


このnoteの主役『息子』長男です。
私を母にしてくれた、張本人。








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