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20年間毎日日記をつけ続けた結果得られたもの

自己受容です。


noteでも何度か書いてきましたが、私は手帳やノートに文字が埋まってくのが快感であるというただその理由だけで20年間毎日日記をつけ続け、今後も字が書けなくなるまで書き続けるに違いないのですが、予想外の利益を得られていると最近実感したのでそれについてお話ししたいと思います。

はじめは、その日の出来事を簡潔に4行くらい書いていくだけでした。理屈ぬきで、その時からずっと日記を書く時間は楽しみで欠かせないものです。
18歳くらいのときから、主に悲しいとき寂しいとき行き詰まったときに、思ったことを詳細に、それ専用のノートにも書くようになりました。
就活の時期に、自己分析の一貫として今まで書いた日記を読み返してみたら、まるで過去に観た映画をもう一度観るような感覚になり、新たな発見もあり、懐かしむだけではなく過去の自分を叱ったり尊敬したりかわいがってあげたくなったり、いろんな感情が湧きました。


お察しの方もいるかもしれませんが、私は昔から情緒不安定の豆腐メンタルでした。消えてしまいたいと思ったことも何度もあります。ネガティブな人が陥りがちな思考や習慣をしていたと思います。だけど一度も鬱病にならずにすんだのはこの日記のおかげだと思ってます。


日記は基本的に自分しか読まないものですから、好きなように書けます。いい顔する必要ありません。思ったことをそのまま書きます。noteでは読んで傷つく人がいないように配慮した書き方をしますが、日記はしません。

よく小学生の感想文ででてくる「たのしかったです」「ぼくはこの話を読んで感動しました」のような稚拙な文から、年齢を重ねるとともに、「自分に嘘をつかずにいかに本心で思ったことを日記に書くか」のスキルも語彙力とともに上達していきます。


書いていくと、なんて身勝手で傲慢で陰湿で残酷で器が狭くてクソみたいな人間なんだろう、私は日本一性格が悪い女なんじゃないだろうか、などと思ったこともありますが、それでいいのです。
自分を責めた時期もありましたが、今ではそういう自分の悪いところは面白がって眺めるだけです。

ちょうどこれは、自己否定から自己受容にシフトしたと言えます。

例えていうなら私は、すっぴん全裸で鏡の前に立って自分を眺める時間を毎日とっているようなものです。
太っていたり肌荒れしてたり白髪があったりと、自分の嫌なところを毎日眺めます。

そうすると、今すぐ改善しなきゃというほどには思わなくても、自分の欠点と失敗パターンが頭に叩きこまれ、どのようにそれを克服・改善していくかそれとも裏っ返して自分の武器にしちゃうのか、無意識に答えを探すようになり、ふとしたきっかけで変わっていくことがあります。

それから、自分の悪い癖を把握していれば、謙虚になれる、
同じような人を見たときに寛容になれるし、
自分と違う他者を尊敬できるようになる…

それができたら、自分の美点そのものである…


嫌なところばかりの話をしましたが、当然いいところの発見もあります。

日記を読み返すとたまに、誰に読まれるわけじゃないのに透明で清い心からでる言葉が書いてあることもあって、

アンタけっこういいとこあんじゃん!と見直します。

自分の長所って、誰かに言われなきゃ認定できないわけじゃあ全くないと思うし、誰よりも自分を知ってる私自身が私の美点を見つけてあげなきゃいけない…
そしてそれを大事にしていかなきゃいけない…


今日も私は、鏡の前に立って過去と今の自分の変化を追っています。


モヤモヤしたら、日記を書きましょう。
それだけで意外とスッキリします。

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