眩しい光がカーテンを貫いて部屋の中から青い空が見えるほどの日。心地いい風が僕の方を撫でていく。こんなにいい天気なのに僕は家に引きこもったっきりだ。お金がないわけではない、その気になればアホみたいに遊ぶ事だってできる。それをさせないのは良すぎる天気に嫉妬しているのか、ただの怠惰なのかまあそこら辺だろう。なぜだろう、天気がいいと人間は未来の事をかんがえる。どこかへ行こうとか、遊びに行こうとか。どうしようもない僕はさらに先の未来を考えてしまう。本当しょうもない事だ。このご時世明るいニュースは少ない。SNSは普及し、匿名であるニュースに偉そうな口で端から端まで叩くような人もいる。天気がよすぎると、そんな未来まで明るいよと言われてるようで気分が良くなかった。また自分のお気に入りの場所なども、インスタ映えとかいう物で人が集まり、いい写真を撮るために周りを厭わない人達で溢れる。それが単純に苦手だった。検定の件もある。勉強するべきだがそんな気は毛頭ない。僕は行きつけの展望台に行くことにした。

幸いここの展望台は人で溢れかえっていなかった。まあ景色が良いわけではないからでもあるが。遠くまで見渡せ、人があまり来なく静かである事から僕はこの場所が好きだった。そういえばもう1人そんな人がいた。まあその事でイラついてる事もあるのだが。

人は肯定されたい生き物である。しかしそれは聞き手が必要だ。会話をする時発信する側と受け止める側に分かれる。両方が発信をするとなると会話は崩壊する。それを成立させるためにはどちらか我慢して聞き手に回る必要がある。しかし人間は肯定されたい生き物なのである。そのためには発信をしなければならない。聞き手に回るという百害あって一利なしの行いは無駄なのである。発信している側を快感させるために聞き手がいるのだ。自分の意見があるのはいい事だ。しかし、その言葉たちは誠実か?発信する側にも聞き手に気を使うことも必要なのではないか。自分の意見だと言い張るのは時には他人を不快にする。そうさせないためにも考えることが必要なのである。
まあそんなこと考えてもしょうがないのだが。
僕は星が散る天井を見ながら思った。
#小説

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