教会への執着

私、色々書いていますけど、
つまるところ、なんだかんだで、教会も、教会の人たちも、
大好きなんだな、と思う。

そうでなかったら、こんなにいっぱい記事は書いてないし、noteも開設してないかな。
本当にどうでもいいなら、ここまでこだわらなくてもいいわけだし。

しかし、もしかすると、もしかしなくても、
これは愛ではなく、執着かもしれない。

両親から得られなかった(と思っている)愛を、教会の人間関係で癒されたかったということだったなあと、つくづく思う。

神様との関係は、自分の地上での人間関係がまずベースになってると思う。それは、元を辿っていくと親との関係がベースということになると思うのだが。

神様との関係が最高なのに、人間関係がやばい、またはその逆って、ないんじゃないかな。

あと教会には、人間関係が上手じゃない人は多いと思う。
人間関係がうまくいかないから、教会に行って、牧師や教職者に依存的になる人が多い。あと教会内でしか友達を作らない、作れない。

そして、教会外でうまく人間関係が築けないことを、私たちには試練があるからだとかいって
片付ける、本当の問題に向き合おうとしない。
本当は傷ついた家庭で育ち、
コミュニケーションがうまくいかないからそこへのアプローチが必要なのに、
それは見なくてよくて、
祈ってるね、で終わりになったりとか。

神様いるから大丈夫、っていうのはそうなんだけども、
やはり、
神の分と自分の分はよく見極めていかないとだなと思うのである。
結局、結論、境界線問題ということになるのかな、
と思うのであった(自分も含めて)。

思う、がめっちゃ多い文になった笑。

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