6/1は世界自己愛性虐待啓発デー。私の親はやっぱり毒親だった。時にカルト化教会見極めより難しい

はい、
タイトル通り。

閉鎖的な外界と遮断されている集団内にいる時、
比較対象がないので
自分の置かれている場所がどういうものなのかを評価する価値判断基準を持つのは難しい。

カルト化教会を見極めるには他の教会へ
いくつか行けば分かることもあるが、

自分の家庭や親、自分の思考については
客観的に見るのは難しい。

最近家庭内で起こった大事件により
私は大変疲弊をしており、
精神的にも相当ギリギリのところを歩んでいたところ、
いてもたってもいられず、
こういう話がわかる友人に電話やメッセージをした。

すると、
親から相当ガスライティングされてたと気づいたのである!

私は親の面倒を幼少期からみることがデフォルトで、
今回もまた精神的に両親ともパニックになり、
パニックにさせてしまった私が悪いんだ…
と罪悪感を感じていた。

しかし友人たちは、
私の親がおかしいのとその理由たちをハッキリ指摘してくれた。
それで私は何とか正気を保つことができた。

そして、親が暴れたことが原因で、精神衰弱してしまい、大事な予定を完全にすっぽかすという事態になったが、(親は気にする由もない)
先方には、親のメンタルが不安定で自分が対応に追われていたと伝えればよい
と言われ、早速そのようにしたところ、
理解してくれた。

目に見えないから、伝えないと分からないんだな!とよくわかった。
今までだったら休んだ私が悪いどうしよう、となって、相手にもそれをうまく伝えられないから、自分が不誠実と思われてやばい事態になるというパターンだった。
親が私がメンタルやばくなるように仕向けてくるから私の人生がうまくいかない。
これが真実である。


私が悪かったんでなく、
今回も親が悪くて、
私がメンタルやばくなってるという、
で、親が怒ったりしているのは自分のせい
というガスライティングが行われていた構造は

まったくもって教会で受けていたものと同じであったときづいた。

なので、恋愛などしている暇はなかったのである。

事実、
親と接触した後は、
今は一日寝込む程度(これも相当やばいが)ということもあるが、
悪いと
4ヶ月くらい毎日下痢、吐き気
っていうのもザラにあった。

実家に住んでいた時は常に不調。
物心ついたときから

腰痛、腹痛、
不安、栄養失調で極度の痩せ

もうこれがデフォルトなので自分の体調が悪いこと自体にも気づかなかった。

似たような状況のテレフォン人生相談者の若者の話を聞いて、やばい親に対して相談員が怒ってくれている回があったが
これもまさにうちの親じゃんって

思った。

カルト化教会を出ても、
家ではまだ課題があり、
家の課題が終わると、
また新たに課題がでてきて、

神様、修行は一体いつ終わるんですか

という感じだ。
生まれた時からマイナスで始まってる…。

しかし前より確実に私は強くなっているし、

今日6/1は、世界自己愛性虐待デーだ!

虐待には、
目に見えるものはわりかし
気づいてもらいやすいし重大さが誰の目にも
明らかだ。

精神的心理的虐待は
分からないように巧妙に行われるから
わかりづらい。自分でも気づかない。
周りからも理解されない

という二次的な苦しみがある。

教会へ集う人というのは
この心理的虐待を経験していたりする場合が多々あると思う。
そういう人は、カルト化した教会にハマりやすかったり、
教会でされる普通の対応に
めちゃくちゃ傷ついて立ち直れないということがあるから
教職者の方々、
教会で受け入れる方々、
そのような人がいることを知っていてください。

たとえば、
私は父から言葉による暴力をずっと受けていたため、
父と似ている声質や周波数の男性の声が聞こえないという病気を持っています。(APD=聴覚情報処理障害)

たまに説教しにきてくれる先生が、そんな声なので、
説教は良くても、
調子が悪いと声を聞いているだけで苦痛なことがあります。

ある婦人には、「親がやばいんです」と勇気を出して話したら、「そんなこと言っても育ててくれたんでしょう、大切にしなさい」
と言われ、
もうこの人とは何も話せない、となった。
普通の家庭で育った人にはこのような世界があると理解できないんです。

そういったことで傷ついて、教会内の人間関係で疲弊して、毎週教会へ行けないこともある。それで信仰が足りないとか
不真面目と言われたりして
これこそ三次的虐待だなと思う。

なんで寄り添うことをしないの?

時間通りに教会に来てほしいていうのは
牧師さんの人間的な思いだけでしょう?

遅れてくるのは神様に失礼だから
とかいう人がいますが

イエス様は、そういう人も大事にしていました。

幸い、今行っている教会は、
説教が終わった後に来ても、
誰も裁かないし、
入りにくい雰囲気もないし、
よく来たね!って迎えてくれるし、いい意味で関心がないけど、過干渉しないところが気に入っている。支配的過干渉の場所に慣れていた者からすれば最初は物足りない気がしたが、
今はこれが心地よく、
心穏やかに過ごせるので
本当に助かっている。


何よりも今行ってる所の牧師先生が、そういう虐待的なことを経験していて理解のある人だから、安心だ。
聖書の学びの後に食事を出してくれることがあるのだが、
食事だけ来て全然いいよ!
って本心から言ってくれるのである。
こんなにありがたいことはない。

自己愛性虐待が多くの人に知れ渡りますように🙏 https://nationaldaycalendar.com/world-narcissistic-abuse-awareness-day-june-1/

https://twitter.com/RinNakamura999/status/1532200191268376578

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