私が選んだ誰かや何か
私が選ぶこと、それ自体に価値はない。
ただ、素晴らしい人や素敵なものでは、ある。
これがうまく言えない。と言う話。
私は好きなことがあったり、気に入ったことがあったり、尊敬する人がいたりすると、それを書くことはよくある。
気に入っているイベントとか、買って大当たりだったものとか、好きな選手のよかったときとか、そういうやつだ。
何故書いたんだよ、と考えると、特段、書く意図があるわけではないのだ。
書いて吐き出さないと夜道で叫びそうだったから、とかそういう衝動的なやつだったり、または、とりあえず書き記しておかないと忘れたら後悔しそうだからとかそういう記憶力の問題だったりする。
「こんな人に好かれてその人も災難ね」
そう書かれたことがあって、明らかに私にダメージを与えるために書かれたことで、まあもちろん効果は覿面で、今でも時折思い出す。
その通りなので否定しない。例えば気に入った、とってもよかった漫画とか本も、もっといい人に読まれた方が糧になると思う。
信頼性の高い人ならば、語られたり書かれるそれは紹介というかたちになって、きっと必要としている人のところへ届きやすくなるんだな、と思う。
信頼性というか私は人間性が低めなので、垂れ流したところで迷惑になる可能性を考えるべきなの…だろうか。
誰が好こうと、向こう側の素晴らしさには変わりがなくて、なんというか盗人にも好きな作家がいるかもしれないし、その作家の本は素敵なのではないか、と思ったりはする。
災難かぁ。
2020.06.21.