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「なんでもいい」に隠れている嘘

「なんでもいい」はときに嘘つきだ。

人には誰しも思っていることは存在している。だが、それを言うか言わないかは、人によってラグがあり、まちまちだ。私は比較的その溝をすぐに越えてしまうタイプで、他人から見れば「言わなくてもいいことをすぐ言う」ようにも見える。

「なんでもいい」はよく使う言葉かもしれないが、だからこそ、それだけでは足りない。なんでもいい、と任せたとしても、否定ばかりは出てくることはないだろうか。

よくあるのは、友人とご飯を食べるときに「なんでもいい」と言う人はいないだろうか。そして、候補が出たときになって無理な理由を言う人。「なんでもよくないじゃん」となる。

いやいや本当になんでもいいの、無理な理由も言わないし、という場合でも「なんでもいい」理由があるはずなのだ。

好き嫌いがないから、友人の希望に添いたい。
お腹が空いているから、何であるかより早く食べたい。
皆と話がしたいから、話しやすければ種類は問わない。
反論されたくないから、他の皆で決めてほしい。
手持ちが寂しいから、高くなければなんでもいい。
その人と食べればなんでも美味しいからなんでもいい、でもいい。

理由を付け足せば、それは立派な希望となり、選択肢を出す側に選ばれた人は考えやすくなる。ちなみに、私はなんでもいい場合でも、モツ鍋だけのお店は無理だと伝えることにしている。あれはいつ、飲み込めばいいのか全くわからないんだもの。

私は、ある程度「思っていること」と「言いたいこと」の溝は深くとも狭くていい、それぞれ越えようと思えば越えられる距離の方が闊達なコミュニケーションが取れる、と思っているし、それがひいては相手の負担を減らすことに繋がると思っている。


2020.05.22.