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推しが尊いというだけの話

家族全員で無人島を開拓しています。島民代表ですこんにちは。

どうぶつの森シリーズはかなりの時間泥棒ですが、こんな時期には子供たちのいいモチベーションになっています。


今日は私以外には至極どうでもいい、けれど私が私らしく、近年元気でいられる本質のひとつについてです。

「推しが尊い」。

はい。もう一回。

「推しが尊い」!!!

ちなみに近年よく聞く推しが尊いというフレーズ、あくまで推す側が畏敬の念から思わず漏れ出るものをごく簡略化して(何故なら推しすぎて語ると毎回文字数を異様に費やすから)だと思っています。

「推し」という概念でざっくりひとまとめにされる前から、特定の誰かや何かのファンになる方々はいらっしゃいますものね。

推しが尊いというだけ
①尊い、とは?
②効能
③推せるときに推せ
④冗談抜きで言いたいのは


①尊い、とは?

「尊い」ってどんな感情なんでしょうね?

とうと・い【尊い・貴い】タフトイ
〔形〕[文]たふと・し(ク)
(タットイとも)
①立派で、あるいは美しく近寄り難い。崇高である。神々しい。古事記上「汝が命みことに益して―・き神ます」。万葉集17「天の下すでに覆ひて降る雪の光を見れば―・くもあるか」
②大事にすべきである。うやまい重んずべきである。万葉集5「父母を見れば―・し」。徒然草「―・きひじりの云ひ置きける事を書き付けて」。「―・い生命」「―・い犠牲」
③高い価値がある。めでたくよい。すぐれている。万葉集3「極まりて―・きものは酒にしあるらし」。源氏物語手習「その頃、横川になにがしの僧都とか言ひて、いと―・き人住みけり」
④地位が高い。東大寺諷誦文稿「富めりし門の反りて貧しく、―・かりし人家の賤しく成りて」。「―・い身分の人」
◇1・2のように、尊敬の感じがこもる場合に「尊」、3・4のように、貴重あるいは高貴の意味がこめられる場合に「貴」を使うことが多い。
—-広辞苑無料検索より引用

アッ全部ゥ…その通りですね……。
私にとって、趣味の国内バスケ観戦で唯一好きな選手は、マイヒーローそのものなので、純粋に素晴らしくて、バスケットの楽しみを与えてくれる存在です。

私なりに、尊さを話すと、観戦チケットを買って観たときに、現実に存在しているだけで(まったくの他人である私の)人生に彩りを与えてくれるなんて凄すぎて、いつも有り難さでいっぱいになります。

※試合前のひととき。集中しているので、そっと観させていただいています。


②効能

血行が良くなる
いや温泉じゃないんだから…と思うけれども、ばかにならないんですよこれが。私は重度の肩凝りなんですが、観戦に言って姿を見つけるだけで血の巡りが良くなって肩が軽くなります。嬉しい気持ちって大事。

張り合いがある
主に働くことに。がんばれば試合、がんばればサイン会、がんばればバスケが観られる…もちろん趣味はあくまで余暇としての兼業主婦ですが、モチベーションはいくらあってもいいので、やる気の源って大事。

風邪を引かなくなった
引けなくなった、が正しいか。疲れている場合ではなく、土日に具合が悪くなっている場合でもありませんし、試合会場で元気な状態でなければ入れません。健康管理、私は家族の体調が悪くても行けないので、とても気をつける良い習慣になりました。

※マイデザインでドット絵を打つ楽しみ。これはアウェイ用の白ユニフォームです。


③推せるときに推せ

「推しは推せるときに推せ」。
至言であり、今現在、最も響く言葉です。
もちろん、マイペースに行ける日だけ、という意味もあります。私も、全ての試合に行ける余裕は、時間的にも金銭的にも家族としても、ありません。
ただ、

この楽しみは、いつか終わる楽しみである

ということは、忘れないでいようと思っています。スポーツ選手には、いつかセカンドキャリアを歩む日が来ます。また、選手より遥かに年上な私は、もちろん先に死にます。観戦したその日が、私の最期でもいいように、悔いなく、楽しく、情熱的に応援するのが私です。

※サインを頂いたユニフォームは宝物です。

※脇のデザインの再現度をがんばりました。


④冗談抜きで言いたいのは

私の場合は、スポーツの楽しみですが、ライブハウスでの楽しみ、コンサートでの楽しみ、舞台での楽しみ…など、姿を観に行くだけで嬉しい気持ちになることは、心を癒し元気にする、素晴らしいパワーのある人に会いに行くことだと思っています。

いつも思うのは、その立場を理解してくれている方々に与えられるばかりで、応援して勝って喜ぶほかは、口先のお礼くらいしかできないこと。

動的な種目の鑑賞としての完成度の高さだけでも、充分に価値のある鍛錬を重ねていることのほかに、プロフェッショナルな心を持ち合わせた人間性も尊敬できること。

ほんの偶然の、奇跡のような経験だと思っています。同じ時代に、たまたま好きなスポーツを好きな選手がやっていること、観に行くきっかけがあったこと、それを楽しめる健康や余裕がほんの少しあったこと。

胸がいっぱいになるくらい嬉しかったり悔しかったり、垣間見える努力に感動したり、心を揺さぶってくれること。

素敵な思いをさせてもらっているな、と思います。いっぱい応援させてもらえて、それを許してもらえて、ありがたいです。元気でいてほしいし、怪我なく、満足のいくバスケットボールを、納得のいく選択ができるように、いつも祈っています。

一生の中で、全く由来のなかった方のことをこんなにも応援したい、と思うことはさほど多くはないでしょう。貴重な、面白くもほろ苦い時間です。

素晴らしい時間が、また戻ってきますように。

※もちろん、ホームユニフォームも作りました。


私が応援してる方のご尊顔はこちら↓


2020.04.11.