ヒトは強くなれけばいけないのか
ヒトは強くなければいけませんか。
私がなにより怖いと思うのはヒトですが、同時に、なにより愛おしいのもヒトです。
私は2人の子供を産みました。産んでしまった、と言う方が正しいのかもしれません。私はお世辞にも素晴らしいヒトでもなく、また妻でもなければ、やはり母親でもありません。
私は、今の配偶者と出会ったときに、ああこの人との子供がほしいな、となんとなく、そして強く思いました。23歳の時だったと思います。
あ、別に馴れ初めを書くつもりではないです。
さて、27歳の時に息子を、32歳の時に娘を産みました。
未熟な私が子供を産んで、育てていて、思うのは、別にヒトはすごく強くなくても、すごく良い子じゃなくてもいい、のではないか、ということです。
強いとか、良い子だとかは、他者との関係性で出てくるものだと思うのですが、自分の遺伝子の一部を引き継いでいるとはいえ、決して同じヒトではない子供たちを見ていると、必ずしもそういった完璧に近い要素は、生きるために必須ではない気がしてきます。
私は弱いヒトです。体力も身体も大したことないですが、精神的も凹んだり怠けたり苛々したりもします。優しくもないし、凛としてもいないし、別に親切でもありません。
だからといって、生きる権利がないとも思わないし、こうして好き勝手にものを綴ったりして楽しく過ごしています。
子供たちを見ていても、完璧でない、綻びの部分は、消そうとするよりも、他を伸ばしたり、見方を変えて、悪い部分を断罪だけしないように、日の当たる角度を見つけたりした方が、彼や彼女の表情も曇らない気がしています。
強さが全てではないこと、
良い子でなければならないに囚われないこと。
そこに、ヒトの完璧ではない愛らしさがある、と思うのです。
2020.06.26.