春を待つ日々
いやぁー、疲れちゃって。
毎日ギリギリの精神で過ごしています。
普段、一応どちらかというと明るいことを書いておきたかったんですけど。こういうのも書いておきたくなって。
特に冬。メンタルによくないんですよね。お日様ギラギラしてないし(夏が好き)。寒くて病気に怯えなきゃいけなくて。仕事がここが繁忙期なので、毎年どんなウイルスが流行ろうと、何に倒れるわけにもいかないんです。
なので、きちんと食べて寝て、家族全員元気でいないといけない。
幸いにも、家族は元気です。みんな体力だけはあるので食べさせて、あったかくして早めに寝かせて、なるべく楽しい話をするようにしています。
仕事も、なんとか。上司が退職して、部署が解体みたいになって転職活動しないとかなと思っていたら本社に異動になって、クビになるんじゃなくて仕事量が3倍とかになってるんですけど、なんとか周りの人に助けてもらいながらやっています。なんかまあ、文句も言われるけど、めちゃくちゃ腹立つけど、それはもう割り切ることにしました。
お母さんはそれやってるだけでもうパツンパツンです。まだ食べられているから大丈夫は大丈夫なのだけれど、カコイチ太ってきて、それもちょっと気にかかる…。
毎冬、仕事を終わらせないといけなくて月の半分はほとんど寝られないんですけど、どうやって過ごしていたんだっけ?と遡ってみたら、やっぱり定期的に趣味や推しや友人のと会食など、細かくニンジンをぶら下げて走っていた様子。
ただ、それも頻繁にはできない情勢になりました。
冬だからね。感染もするでしょう。控えないといけないのは仕方のないことです。ただ、これはかなり…。いいニュースも少なくて、かなり精神的にきついものはあるわね。若干みんなもつらいのか、攻撃的な発言や行動も流れてくるし。大幅にシャットアウトすると、余計に殻に篭るような感覚もあって。
厳格体制になると、怯えながら過ごすのもなかなかこう、削られていくものがあります。
食べますけどね。食べられるうちはなんとか生きているから。通勤は在宅にして減らしても、一切合切辞められるわけもなく、満員電車を避けるためにライナー券を買っても、着いたら新宿駅とかすごい人だからね。よく生きてるなって思ったり。
好きなものを観に行くことも、人混みの中に出かけることも、急にやめましょうという雰囲気になるのも、当たり前で。
でも、全て取りやめるのはやめました。多分もっと我慢している人がいて、申し訳ない気持ちはあります。リスクも高い。ただ、全ての趣味に関して行動することはできなくても、ひとつ、諦めたくないことだけは諦めないことにしました。
簡易検査してから伺ったとはいえ、下関に行っても元気だったのはただの幸運。何もかも、安全という名のもとに全てを諦めた方が懸命であることも知っています。
旅をすることは、なかなか叶わないでしょう。情勢がどうあれ、私がまた飛行機に乗るのはきっとずっと先のこと。マイレージが消えない前にまた乗れたらいいかなくらい。
何故好きなものを、好きになった方を観に行くのか。観ることを基本趣味にしている私の、私への疑問です。これ、一体何なんだろうな、と思います。
私は現地で友人を作ることはほとんどしません。もちろん前々から友人になっている方と落ち合うことはありました。ただ、基本そういうコミュニケーションはどちらかというと苦手。とにかく気が回らないし気が利かないので、向いていないんだろうな。
食べ物も、まあ食べるけど…くらい。お酒もたくさん飲めないし、だいたい何か観たら、さっさとホテルに帰るし。観に行きたいことだけ達成できたらいい感じです。あとは知らない土地の電車やバスに乗るのは好きかな。普通のスーパーに行くことも、好き。見たことのないパンとか、調味料とか、おかずとか、とっても楽しい。
観ることといえば、生の目のほうが、見えないことは見えないんですよね。私は視力もよくないし、高性能なカメラも構えているわけでなく。配信するものはたぶん、よく見える、という観点では配信の方が鮮明なんだと思います。
でも、違うんですよね。
くっきりはっきり見えているかというより、配信では感じ取れないものが現地にはあると思います。映像や画像って本当にほんの一部なんだなって、現地に行くたびに思うのです。
けれど、観に行くことは、怖さと同居もしています。あ、これは感染の話じゃなくて。
失望することへの怖さみたいなものです。
少なくとも、調べて行動するところまで興味のある対象には、多かれ少なかれ、勝手な印象を抱いてしまうものです。チームであれ、行事そのものであれ、人物であれ。
その抱いていた勝手な印象から、人は勝手に希望とか未来とか励ましなんかを見出して、勝手に力にしたり期待したり望んだり願ったりしてしまう生き物だと思います。
それは、対象そのものなんかじゃなくって、勝手に描いた架空の理想像を見ているだけです。こちら側が想像して存在しているかのように主張しているだけ。
勝手な期待みたいなものは、かけすぎるものではない、とは思います。相手も同じ人間なのだから、勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に落ち込まれたら向こうに迷惑だからです。
まあ、そんなことはないんですけどね。私の場合。
だいたい勝手に期待なんぞ抱いていたとしても、そんな矮小なものを吹き飛ばしてなんだっけ?…と忘れさせてしまうくらいの、素晴らしい、だけでは表現しきれない、その場で見ないと分からなかった雰囲気と佇まいが、ああ、特別な存在ってこういうことなのだな、と思うことになります。
何かを観に行くとき、自分は凡人で、ちっぽけなんだな、といつも痛感させられます。それは決して悲しい痛みではなくて、ただ観てそのものを楽しんで心を動かされることを甘受するだけでいいという、路傍の小石になれるという喜びが私の中にはあります。
また会いたい。会うと言ってももちろん観ているだけでいい。それだけで明日を生きてみようかなという気持ちに。
長く長く、会いたい方に会うことのできていない人もいると思います。でも、いつか。そのいつかを、心の灯を、抱いていけますように。
2022.01.