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身代わりタイヤ

「さくらさん、これタイヤ見てもらった方がいいよ。
空気圧が低そうで、何ならパンクしてるかも」
「えっ」


朝、いつものようにシニアのシニアのみなさんが集まるラジオ体操に行ったら、参加者のひとり、マサオさんに声をかけられた。
マサオさんは70になったばかり、ユーモアある人柄と、きめ細やかな気配りで、80代、90代のお姉さま方にも、おじいちゃま方にも絶大な人気を持つ。
もちろん、まりかとて例外ではなく、体調を気にしてくれたり、タケノコを掘ってきてくれたり、さりげなく仕事上のフォローをしてくれたり、心強い存在だ。


そのマサオさんが言うのだから、やっぱりタイヤは何かあるに違いない。
今日は14時で上がって、片道40分かけて隣の市の老人ホームに暮らす父を迎えにゆき、眼科に連れてゆかなくてはならない。
でも、ことクルマのこと。
事故にでもなったら大変だから、ホームに遅れると電話を入れ、職場からいちばん近いガソリンスタンドに飛び込んだ。


「99%パンクだね。
パンクだけなら5分で直るけど、パンクの位置によってはタイヤごと交換しなくてはならないので、ちょっと調べてみますね」


ここは職場指定のスタンドなので、オーナーも店員の女性も男性も、何となく顔がわかる。
対応してくれたオーナーは、空気圧を測る間もなく、まりかに伝えた。


「ここね、細い釘が刺さっているでしょう。
このタイヤのきわの部分って、修理してもすぐにまた、穴が広がっちゃうから、修理のしようがないんです」
「タイヤ交換ですか?」
「少なくともこの1本は取り替えないと、走れないね」
「費用と時間はどのくらいかかりますか?」


殺人的に混んでいる眼科の診療時間を気にしながら、まりかはたずねた。
時間はふたりがかりで作業して、前輪の2本を交換して30分程度、約3万円。
新車で乗りはじめてまもなく5年、どのみち、夏の車検でタイヤ交換しようと思っていたところだ。
オーナーの勧めに従って、バランスを取るためにもと2本交換を頼んだ。


針のような釘1本で、まりかは移動の自由を奪われてしまう。
故意に刺されたものなのか、道端に落ちていたのを拾ってしまったものなのか。
いずれにせよ、パンクしたタイヤは、まりかに何かを伝えてくれている気がした。


「身内の介護に恋活に、忙しすぎたよ。自分軸を取り戻さないと」
「創作活動やライターの仕事も、入ってきているよね。本腰入れるタイミングじゃない?」
「躁うつも落ち着いているようだけど、無理すると倒れるよ。そろそろ本格的に休みなさい」


いろいろな声が、心の中から聞こえた。
そうだ、どれもまりかが日ごろ心の中で考えていることが、タイヤに憑依して語りかけるように。


身代わり地蔵のように、まりかが受けるべき災いを体を張って守ってくれたのかもしれない。
まりかが被るかもしれなかったココロやカラダのダメージ。
あるいは、まりか遭うかもしれなかったクルマの事故。
そう、守ってもらったのだ。



1年以上、恋活にじゃぶじゃぶと時間と気持ちとお金を注ぎ込んできた。
この生活は、いったんおしまい。
まずは、恋活以外にまりかがしたかったことを思い出そう。
ひとり旅、創作、短歌。
お部屋も片して、まりからしい空間にしたい。
そう、自分軸を取り戻して、さくらまりかとして立つのよ。


そうこうするうちに、タイヤが取り付けられたので、最後にナットを閉めるのを確認してほしい、と、外に呼ばれた。
時間とお金をかければ直る間に、まりか自身も治そう。
次にまた、恋に落ちる殿方のために。

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