【フランツ・リスト】愛の夢 第3番(1日1曲紹介)
<作曲家>
フランツ・リスト
<作品>
愛の夢 第3番(S.541)
<youtube>
<コメント>
フランツ・リスト(1811-1886)は、ハンガリー出身のピアニスト。作曲家。
生地であるハンガリーを祖国と呼び、ハンガリー人として生きましたが、ハンガリー語を習得することはなく、両親の血統、母語、最も長い活動地のいずれも「ドイツ」に属していました。
リストは父親の手引きによって音楽を学び、才能を伸ばす為に8歳でウィーンに移住し、チェルニー(ツェルニー)にピアノを習い、そして、サリエリに作曲を習いました。その途中で、パガニーニ(ヴァイオリニスト)の超絶技巧の演奏を聴き、感銘を受け、「ピアノのパガニーニになろう」と決心します。
その後リストは超絶的な技巧を持つ当時最高のピアニストで、「ピアノの魔術師」と呼ばれるようになりました。
「どんな曲でも初見で弾きこなした」と言われています。指が長く10度の音程も軽々と押さえることができたと言われる彼は、10度の和音が連続する曲を作曲しています。
彼の曲には両手を広げての4オクターブの音が多用された他、速いパッセージでも音数の多い和音も多用しました。
リストの演奏を聴いた人々の文献によれば、繊細ながら非常に情熱的で力強い演奏をしていたとされ、演奏中に弦が切れたり、ピアノのハンマーが壊れることが度々あったという。また、彼は演奏に関しては即興をふんだんに取り入れていたとされる。
また、端正な顔立ちのリストは女性ファンが多く、失神してしまう人が続出するアイドル的存在だったことも有名であったり、芸術家が演奏以外で巨額の収入を得ることを好まないとして、無料で指導を行ったり、すべてのプログラムを1人で演奏するリサイタル形式で演奏会を初めて行ったのもリストと言われている。(wiki参考)
「愛の夢」は3曲から成るピアノ曲で、「3つの夜想曲」という副題を持つ。第3番は特に有名。
もともと歌曲として作曲した3つの曲を、1850年に作曲者自身がピアノ独奏曲として編曲したもの。
自分の曲を編曲しなおすのは珍しくなく、特にリストはよく編曲したと言われている。
第1番 - 変イ長調(原曲:『高貴な愛』"Hohe liebe" S.307)
第2番 - ホ長調(原曲:『私は死んだ』 "Gestorben war ich" S.308)
第3番 - 変イ長調(原曲:『おお、愛しうる限り愛せ』 "O lieb so lang du lieben kannst" S.298)
ちなみに、「おお、愛しうる限り愛せ」という詩は、恋愛のことではなく、人間愛を歌ったものとされる。「あなたがお墓の前で嘆き悲しむその時は来る。だから、愛しうる限り愛しなさい。自分に心を開く者がいれば、その者の為に尽くし、どんな時も悲しませてはならない。そして口のきき方に気をつけなさい、悪い言葉はすぐに口から出てしまう。『神よ、それは誤解なのです!』と言っても、その者は嘆いて立ち去ってしまうだろう」という内容と言われている。