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復活の儀式

「ストーカー?」
 鬼の形相で青田は胸ぐらを掴まれた。慌てて警備員が二人、駆け寄ってくる。
「ち、違います。忘れ物をただ、届けようとしただけで。ほ、ほらこれ」
「あ、社員証」
「大丈夫ですか?」
 じろりと警備員が青田を睨みつける。
「僕はただ、駅ビルで彼女が落としたものを渡そうとしたら、そのぉ、下着売り場とか、化粧品の店に入っちゃうから、声をかけ辛くて」
「だからって、何もマンションまで付いて来なくても良いじゃない」
 トーンダウンしたとはいえ、責める口調を止めなかった。
「経緯は分かりましたが、誤解を招くような行動は慎んでくださいよ」
 警備員の口調も強めだ。青田はすっかり肩を落として頭を垂れた。
 青田は子供の頃から人間関係や勉強で悩むことが多かった。大学生の頃、友人に誘われて行った自己啓発セミナーの会場入口で、不審者扱いされ拘束されかけた事があった。友人が間に入ってくれたおかげで誤解は解けたがしばらく人の目が怖かった。そんな時に友人から勧められたのが、何か辛いことがあったらこれをすれば気持ちが浮上できるというルーティンを作る事だった。
 次の土曜日、心の中では復活の儀式と呼ぶルーティンで、まずはいつもの古書店に向かった。
「いらっしゃいませ」
「え、店主さんは」
「ぎっくり腰になってしまって」
 姪だという女性が苦笑いする。つい格好つけようと自己啓発本の上にビジネス書を乗せた。
「これお願いします」
 レジを打っている間、変な誤解を招かぬよう息を止めた。
「有難うございました」
 受け取って、さっと出ようとすると、
「ちょっと待って下さい」と後ろから声がかかる。
「千五百円以上お買い上げの方に、本を一冊差し上げているんです」
「――はあ」
「この中からお好きなのどうぞ」
 積み上げられた本の背表紙をざっと見る。気になる本が真ん中くらいにあったが、とてもこれをと言い辛い。そんな様子を見かねた彼女が、少し悩みながら文庫本を引き抜いた。
「短編集ですけど、気分転換になるかもしれません。読み終わったらぜひ感想聞かせて下さいね」
 自分より十歳は年下であろう彼女に、心のうちを見られたようで、かっと顔が熱くなった。
「どうも」と言って逃げるように店を出た。
 喫茶店に入るといつもと同じ窓側の席に座る。駅の中にある店なのに特出したメニューがないせいか、いつ来ても利用者が少なく青田には心地よかった。
「ナポリタンとアイスコーヒーを下さい」
「すみません、今日はナポリタンが売り切れていて、カルボナーラで良いですか」
 男性店員は青田の要望を聞く気がなさそうだ。美味しくも不味くもないナポリタンが何故売り切れの事態なのか気になったが、店員が面倒そうなので「それで」と答える。店員は「かしこまりました」と言い切る前にキッチンに消えた。それを見届けて紙袋に手を伸ばす。カバーが付いていないビジネス書も自己啓発本も人前で読むには恥ずかしいと手を引っ込めた。
「お待たせしました」
 電子レンジで温めたのかと疑う早さでカルボナーラとアイスコーヒーが来た。想像通りの、極々普通の味だった。
 この後、映画館で適当な映画を観る予定だったが気が乗らなくなった。どうせ、すでに儀式は破綻している。空いている各駅電車に乗りシートに座ると溜息が出た。文庫本をぱらりとめくる。十五分ほどで読めそうな八編の物語集だった。主人公達は青田と似て少し不幸で、一億円の宝くじを拾わないかなと夢想する他力本願な人間だった。主人公が窮地に立つたび、自分の姿に重ね苛立ち、それを乗り越えると胸が熱くなった。半分ほど読み終える頃にはすっかり主人公に同化している気がした。
「おっと、降りる駅だ」
 文庫本を手に、電車を降りてすぐ買った本を車内に忘れたことに気づく。
「ははは・・・・・・馬鹿だな」 
 ぺたりとホームのベンチに座り込む。いつも、良いことのあとは嫌なことがある。
「あの、これお忘れですよね?」
「え」
 顔を上げると、紙袋を持った女性が目の前に立っていた。何故か少し笑いを堪えている。
「そうです。有難うございます。わざわざ、追いかけて来てくれたんですか」
「いえ、たまたま降りる駅が一緒だったので、気にしないで下さい。乗り換えのバスの時間なので」
 小説なら今の女性と何かが始まるのに、現実はこんなものだと去っていく背中を見つめた。
「あれ」
 紙袋の中を覗くと、可愛い猫柄の風呂敷に包まれたお弁当箱が入っていた。
「――それでか」
 周りが気味悪がって遠巻きにするのも構わず声に出して笑った。駅の係員にうまく説明出来るだろうかと心の中で台詞を繰り返す。復活の儀式に「忘れ物をする」を付け加えた。きっとそれくらい適当で丁度いいのだろう。サービスカウンターへ向かう足取りは不思議なくらい軽かった。
                 



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