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風鈴とコケコッコー【#シロクマ文芸部*風鈴と】
風鈴とタチアオイが描かれた入浴剤をサラサラとお風呂に溶かした。パッケージの夏空と同じ青色がゆっくりと湯に広がっていく。湯船はまるで映画館のスクリーンみたいに一つの風景を映し出した。
通り雨が庭の草花を濡らし、野良猫が慌てて縁の下へと入って行った。
私はこの景色を知っている。小さい頃、妹が産まれる時に、ほんの少しだけ預けられた祖父母の家だ。
テーブルには茹でたとうもろこしと、キンキンに冷えた濃い麦茶、仏壇から漂う線香の香り、それから、隣家のピアノの練習に合わせて鳴くビーグル犬……。
湯に真っ白な入道雲が浮かび、ピンク色のタチアオイの花が咲いた。遠くから虫かごと虫網を持って駆けて来る少年と少女の額と頬には、タチアオイの花びらがついていた。
あの少女は私で、少年はたまたま遊びに来ていた従兄弟だ。祖父母の家は難しい歴史小説やおどろおどろしい表紙の小説ばかりで、ゲーム機も絵本も漫画もなくて少し退屈だった。それに、夜になったら、階段横のトイレに行くのがちょっと怖かった。
それが、従兄弟の登場により、母の帰りを待つだけの消極的な日々から、色彩豊かなものへと変わったのだ。
二人で近所の公園の宇宙船の形をした遊具を陣地だと主張して、近所の子供達と小競り合いになった。だけど、しばらくしたら飽きて、夕方にはみんなで花火をした。家からそれぞれ持ち寄った花火は思った以上に多くなって、残りは明日やろうと興奮気味に約束した。
今よりずっと涼しかった夏の夜風に風鈴が揺れていた。あちこちから聴こえる風鈴の音は、実はあの世から帰ってくる人達の合図だと誰かが誇らしげに言った。
あの風景は、もう無い。祖父母の家も今は更地だ。
あの頃の、他者との境界線がゆるく、いつもどこかの家から声が聞こえて、気づくと一人じゃなくなっていた。今思えばそれは、とても幸せで贅沢な時間だった。
もし、あの頃に戻れたら、あの子の背中に止まったでっかいギンヤンマを捕まえてみたい。
ラムネの香りがする湯からジーワジーワと蝉の鳴く声が聴こえる。
あの子、元気かな。会いたいな。一緒にもう一度、タチアオイの花びらをつけて、コケコッコーって叫びたい。
このまま、湯に沈んだら会えるかな?
リビングからミステリードラマのオープニング曲が聴こえて来るまで、美しい風景に身を委ねていた。
自分の身体が溶けて消えてしまったみたいに湯はどこまでも青い。だけど、もう先ほどの美しい風景は消え去っていた。
ドラマの主人公達の緊迫した声が聴こえる。夫と妻と愛人の歪んだ関係に終止符を打ったのは、夫のもう一人の愛人だった。ドロドロした愛憎劇なんて、全然好きじゃなかったのに。
風呂から上がり、冷凍イカの下で霜だらけになった苺のかき氷を取り出す。買ったことをすっかり忘れていた。
蓋についた霜を手で乱暴に取り除くと、その冷たさに一瞬ひるむ。蓋を開けて、ザラザラの氷を口に含むと、もう一度あの日の花火を思い出す。最後にみんなで一本ずつ線香花火に火をつけた。その時、ずっと、鳴っていた風鈴がピタリと止まり、あの子の柔らかな頬からほんの少し、とうもろこしの匂いがした。
あれは、私の初恋だったのかもしれない。
了
https://note.com/komaki_kousuke/n/nd38a766caa99
あとがき
今回も、なんとか捻り出してみました。
元ネタは、娘がハマっている色んな入浴剤です。最近は、しろくまのイラストが可愛い、ヒヤリと気持ちいい入浴剤がお気に入りらしいです。草むらみたいな黄緑と深い海みたいな色をしています。不思議と懐かしさを感じます。
そして、こっそり(?)前作のネタをひそませてあります。
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