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沈むことは決して悪いことじゃない

とっても静かだ。怖いくらいに。
でも自分の周りには心地よい温かさを感じて、心は穏やかだ。

最近ふと私のからだが海の中に沈んでいくイメージが浮かぶ。散歩しているときや、仕事でPCを眺めているとき、夜寝る前に目を閉じたとき。

本当は海ではなく湖かもしれない。水の底に向かって脱力した体が沈んでいく。
私はぼーっと海面を見て、海面を通して見える、歪んだうつくしい空を見る。


ぼこぼこと海へ落ちゆくこの身体
底に都はあるのだろうか


数年前に詠んだこの歌を友達に見せたとき、友達は「海にも重力があるんだね。ゆりは足から沈んでいるような気がするよ」と言われた。

確かになぜ浮力があるはずの海で、私は沈んでいるんだろう。
私はふと思った。

あの人の言う通り、私は多分足から落ちていた。
理由はもがいていたから。

なんとか海面にあがりたいともがいていた。息は乱れ、このまま海の中にいることが怖くてたまらない。
でも、もしかすると、海の底には自分の知らない都があるのでは?とも思っていた。

この歌を書いたのは3年ほど前だったと思う。
今、私は静かに海の中に沈んでいる。

ただ海面を見ながら、静かに海面との距離が遠のいていくことを感じる。
ここは驚くほど静かだ。もがいていたら気づかなかった。

人はときに、嵐のような波に襲われることがある。
最初は嵐に見舞われた船のように波を乗りこなそうを試みるが、最終的には海の神に祈る。
もがいても、波が静まるわけではないのだ。

だから私は静かに目を閉じ、耳を塞ぎ、静かに海へ身を投じる。
波がどんなに激しく荒れていても、海の中は静かだから。
せめて自分の周りの静けさは保ちたい。

人は波に抗えない。
本当に嵐が来た時は、胸に手をあてて、自分の存在を確かめ、
嵐が終わるのを静かに待つ。

泳ぎ始めるのは、波が静まってからだ。

海には浮力がある。
何もしなければ、ふと浮き上がる瞬間がある。
海に身を委ねる勇気は、沈んでみる勇気と、
その静けさに対する謙虚さから生まれると、最近ふと思う。


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