見出し画像

遊戯王と偶像の時代のシンプルな犬

ニチアサを経てコメダ珈琲へ。今日のニチアサもキラメイジャーがすごく良かった。マブシーナ姫が日本茶で酔って暴れる話だった。毎回楽しくて面白くて最高だなぁキラメイジャーは。終わっちゃったら泣くだろうな。早くソフトバンク解約して東映特撮ファンクラブに入らなきゃ。

犬の人がコメダ珈琲に行くというのでコメダへ。読書するも90分で追い出される。
帰宅したら長い昼寝をしてしまって、起こされたのが夕方。お願いがあるんだけど、と言われてどうしてもカレーが食べに行きたい俺が経済を回すんやと言って聞かないので近所のカレー屋へ。正直寝起きだしお腹減っても無かったけどまぁサモサとスープが美味しかった。

小学生の頃の話になって、犬の人は遊戯王の初期からのファンでプロトタイプ版のカードダスを持っており、そのおかげで何故か年上や金持ちの同級生と仲が良くて自分の家は裕福な方ではないと思っていたらしい。いつの時代もオタクはオタクと遊ぶのだなと思った。
そもそも遊戯王は初期、あらゆる世界のゲームを遊ぶという紹介性の強い漫画だったらしい。その中のカードバトルがめちゃくちゃ流行って、カードゲームを出したら当たったらしい。知らなかった。兄の影響でもなくどうやってそんなものに触れたのかかなり不明。昔からオタク的なものにハマるのが早かったらしい。別にクラスの隅にいるわけでもなく友達も多くて人気もありつつオタクである事って本来は成り立つはずなんだけど、これはいわゆる平成的なオタクイメージからはズレるタイプだ。

アイドルを崇拝しシティポップのイメージで恋愛をしたがる謎の眼鏡オタクのマルチネ文化圏恋愛の事を思い出した。ありもしない偶像のノスタルジーで盛り上がれる、まさにヴェイパーウェイブみたいな時期があの時確かにあった。2010年代前後はそんな感じでなんかショボいサブカル男子がサブカルを武器にしてオタサーの姫以外の女を抱けるボーナスタイムだったようなイメージがある。でもそういうロマンスは相手を幻想の器として求めてしまうため、お互い幻想を抱いたまま演じきれる場合は良いが、そうで無い場合は関係者全員が不幸になる沼を発生させる。どこも一緒か、知らんけど。

犬の人も出会った当初は現場に行き握手券や写真集を買いレア音源を集め仲間と情報交換しつつ推すというちゃんとしたアイドルオタクだった。よくいるタイプだしあーハイハイくらいで気に留めていなかったが、ある種の嗜みとして嗜好していただけだったらしく付き合ってすぐやめた。(私がよく思ってなかったからだと思うけど。)彼によると別に好みのタイプだから推してたとかいうつもりもあまりなく、理想みたいなものは無いらしい。私も昔は理想の愛され方があった気がするけどそういうのは全部捨てたな、要らなくなったのかもしれないし諦めたのかもしれないし、どちらもある。

犬の人は本当によくわからない、というか何も考えていない。今これだけ何も考えずに生きてるという事は昔はもっと何も考えてなかったんだろうな。同級生にも昔から「お前は生き方がシンプルでいいよな」と言われていたらしく、すごい褒め言葉だと思っていたらしい。すごいな。まぶしいわ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?