見出し画像

『高慢と偏見』(BBCドラマ)を観た~最も印象に残った登場人物は意外なことに…~

先日、Amazon primeで無料視聴可だったので、『高慢と偏見』シーズン1のエピソード1からエピソード6までを一気に観てしまいました。

さて。
ドラマの舞台は18世紀末から19世紀初頭にかけてのイギリスです。なので、現代とは結婚や恋愛に対する価値観がかなり違う。そういった点では観ていてけっこうモヤモヤしてしまいました。

とりあえず登場人物ほぼ全員が無職――(と書いてしまっていましたが訂正します。牧師と青年士官と大佐がいました:追記)
そしてひたすらにだれとだれが結婚するのか、ということが関心の的なのです。男女どちらにしても、いかに高収入だったり財産をたくさん所有していたりという意味での「いいお相手」をゲットすることができるのか、という観点からの騒動やら言動やらが多く、どうしても鼻白んでしまう部分がありました。

ここで前提となっていることには、この時代は女性には相続権がなかった、というものがあり、これに影響されてすべての物事が進んでいく。

これは観ていて辛い。

あとは傲慢で無愛想だとおもいこんでいた人物が、じつは不器用な性格だっただけでほんとうはいい人であった、というような展開があり、これもまあ……なんというか。自分的にはヒロインに共感ができず……。

ならばなぜ一気に六話も観てしまったのだ……ということなんですが。

イギリスの、緑の延々と広がる田舎町の景色がうつくしくて、観ていて飽きない。

また、登場人物たちの衣装や、屋敷内の家具や調度品、内装などの、舞台背景が観ていて楽しかった。たぶんそういったものへの興味が六割以上はあったとおもう。

見おわって心に残ったのは、上記のビジュアルな面以外では、五人姉妹の母親という登場人物のことです。

この人物がひじょうにアクの強いキャラクターなのです。
その落ち着きのない、短絡的な思考からくるヒステリックな、あるいは神経症的な言動は、周囲のものすべてに頭痛を引き起こすといったふうで、とにかく心の中にあることをすべて口にしてまき散らさずにはいられないのですね。

で他の家族はそういった母親の性格を理解していて、もう、だれひとりその言葉をまともには聞いていないのです。
彼女が喋り出すと皆ため息交じりに頭を振ったり、こっそりと目と目を合わせて沈黙したり。
そして機関銃のように放たれる言葉が通り過ぎるのを待ち、じっと耐える――という場面が何度となく繰りかえされます。

この母親はひじょうに近視眼的なのです。
物事の本質をことごとく見抜けない人なのですね。

じつはたいへん惨めな状況であるのに母親ひとりだけがその事実に気づいていない――という場面がいくつも出てくるわけです。

で、さいしょは自分も、よくもまあ家族の者たちはこの母親に耐えられるなあ……と感心していたのですが、だんだんと引きこまれて観ているうちに、この部分についておもしろいと感ずるところが出てきました。

無神経の極みのような母親なのです。耐えがたいほどに短絡的な物の見方しかできず、思いつくままに、それが相手を傷つけるかもしれないとかこれは失礼にあたるかもしれないなどという配慮は一切ないという。

いやまじでのけぞるほどの、凄さなんです。自分の言いたいことだけを声高に口にする、吹聴する、何事もすぐに不安がる、ショックを受けると椅子に倒れこむ、泣き喚く。

しかしそんな彼女に対する、その家族の姿勢というか在り方に、いたく感じ入るものがあったのでした。

夫も娘たちも、そんな母親だからといって邪険にしたりましてや排除したりということがないんですね。そういう言動はない、態度にもほとんど出さない。もちろん夫が妻につい愚痴めいたことを吐いたり、娘たちも戸惑いをみせたりはするのですが。

でも、もうそれはそういうものだという諦めの境地でもって受けとめ、決して責めず、淡々と家族として受け入れて共に過ごす、そういう接し方をしているのです。

なんだろうなあ……。

人間ってだれもが物事を正しく見極めることができるわけではないし、間違った認識のまま生きていく人もいるし、愚かしい面もたくさん抱え込んでいるものです。

だからこそ、このドラマに出てくる一家は、母親の言動がどれほど愚かであっても、それでも家族なんだという温かさを持っているというか。

とはいえ、もちろん、そういう母親に対してことさらに温かく接しているとか励ましの言葉を掛けるとかでもないんですね。

「うんざり」という表情はしているし、態度にも出ているから、もしかしたらある意味、ものすごく冷たいといえるのかもしれない。家族であっても、だれひとり母親を諫めたりかのじょの考えを改めさせようとはしないのですから。

そこは完全に諦めている――という空気が、一種の、ものすごーく怖いものを含んでいるとはおもうのです。

ただ、ものすごく怖いんだけれども、それは家族として理性の愛をもって接しているということなのかなあ……なんてことを、感じたのですね。

自分だったらどうだろう、と。

こんなに忍耐強く接することができるだろうか、とか。

そして自分なりに考えたのは、これからはもう少し自分も心を柔らかくして、自分にとっては不快であったり嫌悪するものだとしても、そういった対象ともむきあって接していくことも、必要なのだなあということですね。

あたりまえのことなんですけど。

そこで相手と離れたいとか考えるのではなく、その人をそのままの状態でそう在るものだということで、まずは、自分が受けとめる――

ということが大切なのかもしれないなあ……とか。
自分の心をもう少し広くしなくちゃなあ……と感じました。


というわけで。
なんだかよくわからない感想になってしまいました。ごめんなさい。

またドラマや映画など何か観たときは、ノートに書いてみようとおもいます。

……ここまで読んでくださった方がおられましたら、ありがとうございました!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?