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映画『1917 命をかけた伝令』を観た~生きるとはどういうことなのか?~

『1917 命をかけた伝令』
監督  サム・メンデス

第一次世界大戦が舞台のお話です。

第一次世界大戦といえば、イコール塹壕戦ですね。当時、砲撃による症状をシェルショックと呼んだそうで、戦闘ストレス反応というのだそうです。1980年代にベトナム戦争の帰還兵が心的外傷後ストレス障害に苦しんだことはさまざまな映画で描かれていますね。

さて。この映画で描かれているのは、まさにいまそのストレスを受けている兵士のリアルタイムな感覚でした。特殊なカメラワークによって観客にも体感させてくれるといいますか、とにかく臨場感の半端ない映像が印象的でした。

観た後に残るのは、圧倒されるようなというか、打ちのめされるような虚無感、絶望感ですね。もう、ほんとうに、すべてが虚しい――といった感覚。

命の軽さ。

え。こんなにあっけないの。みたいな。

みな名前のある、家族もいれば過去もある愛すべき思い出もあった、そういうひとりの人間であったはずなのに。まるで……うち捨てられたモノのようにあちこちで放置されている。

樹々に咲く白い花びらが、とても印象的に使われている場面がありました。

愕然とさせられるほどの、命の軽さを目の当たりにして、どうしていいのかわからなくなる、とても不安にさせられる映画です。

圧倒的な臨場感に言葉が出てこない。ただ感じるしかないような場面がつづきます。

そして、可能ならば、ぜひとも観てくださいと他の方へ強くお薦めしたくなる映画でした。

というのはですね。

そんな悲惨な光景の真ん中で、懸命に、主人公が任務に取り組んでいるのですね。その姿が感動を呼ぶんです。

完遂するのは不可能とおもわれる伝令という危険な仕事を全うするため、結果的には無駄になるかもしれない時間のその一瞬一瞬を、それでも前進しつづける、一心に走っていく主人公の姿に、涙が出てくるんです。

特に後半は(中盤に起こったあるできごと以降)、それによって主人公がある覚悟をした、ということがはっきりと伝わってくる箇所があります。

主人公は言葉にもしていないし、何の説明もないのに、その表情、行動から、「もう自分はいつ死んでもいいのだ」と堅く静かに決めたことが、わかる。

それまでの何としても助かりたい、生きたいという気持ちからの行動とは全くちがうものなのだ、ということが、わかる。

つまり冒頭で登場したときの、伝令に出発する前の主人公と、最後の場面で映しだされる主人公とでは、大きく変わってしまっているんですね。

……なんだろうなあ。ほんとうに、とても不思議な、複雑な映画だった。

いろんなものが混じっている感じがして、また近いうちにもういちど観てみようと思わされました。


というわけで二回目の映画鑑賞記事でありまして読みづらかったりと慣れないところもあったかとおもいますが、最後まで読んでくださった方々、まことにありがとうございました。


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