Life is What you make it.
こんにちは!😃
望月優里(もちづきゆうり)です。
さて、今回のnote.では、全国の学生にあるメッセージを伝えたいんです。
それは、「一生に一度の人生。染まるより染めろ。」ということ。
私は、就職活動を通して、多くの社会人と出会いました。
そこで感じたことは、「イキイキワクワク働く大人に共通するのは、”夢や目標に向かって自走できていること”」でした。
私は、これからの人生でどんなことがあっても「自走できる人間になりたい」と考えています。残り1年の学生生活では、社会人のスタートを切るため、そして自走人間になるために一生懸命準備していきます!
【なぜ私がこの記事を書くのか】
私がこの記事を書くのは主に2つの理由があります。
そもそも、たった1つの記事で1人の人間を理解するなど不可能でしょう。だけど、それでもいいんです。
少しの働きかけから、長くて深い繋がりが生まれることを願ってこの記事を書きます。少し長くなりますが、ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
【1. プロフィール】
ここではまず、私の幼少期から今までを振り返って見ることにします。
【幼少期〜小学時代】
一言で言うと、「活発で好奇心旺盛な男の子のような女の子」でした。(笑)
茨城の田舎町で育った私は、学校から帰ると田んぼ道を自転車で駆け抜けて友達と遠くまで遊びに行ったり、公園で鬼ごっこやサッカーをしたり、常に動いていたい欲求の強い子どもでした。
祖父がマラソンと山登りが好きだったので、それらにもよく連れて行かれました。(もちろん、楽しかったです)
ただ、この時期からひとつだけ継続して頑張っていたのは「自学自習」の習慣でした。公文教室に年長から中学まで通っていた私は、気づいた頃には自然と「時間の使い方」「遊びと学びの切り替え」を身につけていました。
【中学時代】
中学時代を振り返ると、まさに「毎日がサバイバル」でした。一方で、今の自分の形成期であったことも間違いありません。
なぜか?私の通っていた中学は田舎の公立中学で、生徒の種類も千差万別。授業が素直に前に進むことは珍しく、先生が生徒に注意することで授業の解説は中断、結果として賢い生徒はもはや自分で学習を始める。そんな毎日が続きました。
当時、先生と親しかった私は「学級委員」「生徒会」など、いわゆる「真面目キャラ」の定着しやすい役職を多く担当していました。意見が違うクラスメイトに対しては思い通りに行かないことも多く、よく保健室の先生や唯一の親友に悩みを相談していました。
そんな私が、中学時代に一番打ち込んだと言えるのは、部長を務めていた「ソフトテニス部」での活動でした。テニスは、小学生の後半からスクールで習っていたこともあり(硬式でしたが)、入学後すぐに入部を決めました。
転機は、2年の夏。自分が部長に抜擢されたタイミングでした。
所属メンバーからマネジメントする側へと立場が変わったことで、必然的にチームへの考え方や姿勢も変わりました。それまでは、目の前の練習や試合に全力で打ち込むことしか考えていなかったけれど、部長になってからは、自分だけでなくチーム全体の成長を考えるようになりました。時にはチームメンバーと衝突したり、チームがバラバラになってしまったりと精神的にきつい時期もありました。だけど、そんな時に自分を頑張らせたのは、「憧れの先輩のようになりたい!」という思いでした。その先輩とは、一つ上の部長をしていた方です。先輩は、同期や後輩、先生も含めて、みんなから慕われていて、困ったことはつい相談したくなるような人でした。誰に対しても十分に時間をかけて真摯に向き合う、ふと気づくと誰かのために行動している。そんな人でした。
この時から私は、「リーダー」への思い入れが強くなっていきました。私も「困ったときは頼りたくなる」そんな存在になりたいと思うようになりました。誰かに必要とされる存在に慣れたら自分は毎日イキイキと生きられるんじゃないか。そう感じました。
【高校時代】
高校時代を振り返ると、「新しい自分を見つけた青春時代」と言えます(大して青春してないけど思い出に残る経験は多かった)。私の通った高校は小学校からずっと第一志望にしていた進学校で、父の母校でもある歴史ある学校でした。
けれど入学後すぐ、私は人生で初めてともいえる学業面での大きな挫折を味わいました。
地元の中学では比較的安定して成績がよかったのですが、高校では周りの学生のレベルも高い。したがって、並大抵の準備ではダメなのです。一度あまり準備せず臨んだ数学のテストでクラスの下から3番目になりました。ショックを感じた私は、しばらく全く勉強する気になれませんでした。だけど、ある友人が言ってくれたのです。「スタートラインはいつでもひけるんだから、頑張ろうよ」と。この言葉によって、火をつけられた私はそれ以降、「どんな時でも人以上の努力をしよう!」と決意しました。(と言っても、2年秋までは部活や委員会に没頭していましたが)
また、当時から一番好きだった科目が、「世界史」でした。どの教科よりも時間をかけて学習し、休憩時間もつい世界史の資料集を眺めてしまうくらいに好きでした。特に、中国の戦国史が大好きで、登場する武将のエピソードを世界史の先生から聞くのが楽しみでした。
学業以外に取り組んだことといえば、「歩く会」実行委員会の活動です。そもそも「歩く会」ってなんやねん!って感じですよね。これは、母校の伝統行事の一つで、2日間で約70kmの道のりを歩くという一見シンプルな行事です。しかし、実はこの2日間を通して、地域の方々やOBOGの方々との関わりが増えたり、クラスメイトや先生との絆が深まったり、時には新たなカップルが生まれたり…!?するんです。修学旅行の代わりになっているこのタフな行事に賛否両論はあるものの、卒業生はみな口を揃えて「良い体験をした」と言うのが面白いところです(笑)。私は実行委員として、当日生徒が持つ「しおり」の作成係に所属し、イラストを書いたり、必要な情報を集めてきたりしました。当日は一般生徒の安全誘導をしたり、歩行記録係をしたりとイベントを裏側から支えていました。
最後に、私の思い入れが強いのは、「水戸城下町における土地活用の研究」です。私の母校は、「水戸城」の跡地に建設されているため、周囲を堀に囲まれており、入り口には「薬医門」という歴史ある大きな門が構えています。そんな高校に通っているおかげで、3年の自由研究の題目は必然的に「水戸城」関連のテーマでやろう!と決めていました。
茨城大学に専門の教授がいると聞き、数日後直接アポイントを取り、会いに行きました。当日は緊張したものの、教授は優しく出迎えてくださり、参考文献や研究内容についてのアドバイスをくださいました。それをもとに、茨城県の県立図書館で江戸時代から現在までの地図を全てあたり、足りない情報は歴史館や文化センターで調査しました。地図を片手に水戸城下町であったエリアを歩きながらの実地調査もしました。昔から続く老舗の商店街の方にインタビューをしたり、各地に建てられた石碑や資料を参考に過去と現在の土地活用の比較を行ったりしました。最終発表で無事にプレゼンを終えた際には、とても大きなやりがいを感じました。
【大学時代】(〜現在まで)
さて、いよいよ現在進行形の大学時代。私はこの大学生活はまさに「自分の可能性を拡げるための挑戦の時期」になっていると思います。
茨城から上京し、ひとり暮らしを始めた私にとって、最初はまず生活に慣れることからがスタートでした。そして、ある程度生活に慣れてくると、次にぶち当たる課題は「ひたすらに自由だ」ということでした。
授業の取り方も自分で決めて良いし、バイトやサークルも自分で選べる。当たり前だけど、毎日の過ごし方も自分で決められる日々。
最初は、その「自由さ」に怯えました。なぜなら、自分の選択次第で人生が大きく変わってしまう気がしたからです。今までは、あまり意識していなかったけれど、ある程度敷かれたレールがあって、その上を歩いていたんだと気付きました。
正直、大学2年生の11月くらいまでは、大学生がよくやっていることをしてみよう!として、いわゆる「よくある大学生」をやっていたかなと思っています。それこそ毎日、授業、バイト、サークル、遊びを繰り返す日々でした。
しかし、大学2年の年末年始、将来について両親と話しているときに、転機は訪れました。そういえば、両親のキャリア選択について聞いたことがないと感じた私は、母親に対して今の職業を選んだ理由を聞きました。すると、「私はね、他に選択肢がなくて公務員になったの。だからゆうりには選択肢を多く持った中から、自分が一番やりたい仕事を選んでほしいなあ。」と母親は言いました。
その時、私は思いました。「自分は将来の選択肢を増やすための努力をどれだけしてきただろうか?ー」
東京に帰ってきてすぐ、私は何か行動を起こさねばと思い、いよいよ大学生活第2章に踏み切ったのです。
ここからの私は、今考えても驚くくらい、アクティブに動きました。初動としては主に、①アメリカ研修②長期インターン③イベント参加に取り組みました。
①は、2019年3月にサンフランシスコでの海外研修に参加したことです。アメリカに初上陸した私は、そこで多様な人々に出会い、多様な角度から世界を見つめ、改めて世の中の広さと自分の小ささを痛感しました。そして決意したのです、「もっと柔軟にチャレンジングに生きよう!」と。
②は、長期インターンを始めたことです。実際に社会人と一緒に活動をした経験はそれまでありませんでしたが、これから出ていく社会を「知る」には、実際に組織に所属して社会人と一緒に働いてみることが一番良い方法だと考えました。短期では、実践的なスキル習得は難しいと思い、半年以上のインターンを選びました。
③は、あらゆるイベントに参加してみることでした。目的は、「新しい発見と出会い」を得ることでした。自分自身がまだ未熟であるならば、すでに多くの物事を経験している人に学ぶことが最も成長に繋がるのではないかと思いました。不思議なことに、イベントに頻繁に参加するようになると共通の知人が増えていき、知らぬ間に人脈ネットワークが拡大していきました。
ここで、私が大学生活で取り組んだことをまとめてみます。
ChillOut!アプリ:
https://apps.apple.com/jp/app/chillout/id1444519217
さとラボ:
https://peraichi.com/landing_pages/view/satolabo
Rainbow Career:
ジョブヨク:
以上、大学生活では、新たな自分の可能性を発見すべく、トライアンドエラーを重ねてきました。
【2. これからの私】
さて、これまでの自分を振り返ったあとは、これからの自分を見つめなくてはなりません。
将来、私が目指す人間像は冒頭でも示したように「自走できる人間になる」ことです。
これはつまり、「自分の力で前に進める人間になる」ということ。これは、他人の力を一切借りないと言うことではありません。
自分で決めた道を自分の力で堂々と歩めるようになる、という意味です。そのために必要なのは以下の3要素だと考えます。
「経験スキル・実行継続力・人間的成長」
さらに、具体的な目標は、「身近な人への価値貢献を通して社会貢献できるリーダーになる」ことです。
私は、身近な人を幸せにできなければ、社会へプラスの影響を与えることはできないと考えています。また、中学時代の部長経験や大学での団体運営経験から、チームで活動する際のリーダーの役割の重要性とやりがいを強く感じました。以上の理由から、上記の目標が立ちました。
よって、今後は3要素を身に付け、目指す人間像・目標を実現するために努力していきます。夢は叶う!叶うと信じたその日から!
ここまで長い文章をお読みいただき、ありがとうございます。
次回以降は、日々の気づきや学び、最近の話題を発信していく予定なので、お楽しみに!
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