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≪Art Conservation6≫守るものと変わるもの

西洋と東洋の保存修復は違いがあると言われるし、イギリスと日本でもそれぞれがそれぞれに何か違うと思っているのだけれど、その違いって何かということと、何故違うのかという事が知りたい。

その違いが分かれば、その違いの源泉はたぶん日本の深い所に根差すものだし、それは西洋に伝える価値のあるものかもしれないし、日本の修復が守っていくべきものか、それとも変えていくべきものか自覚的に考えられる立脚点になるのではないか。

感覚的に結論を言うと、なにかそれは"職人"という存在や歴史に関わるものだったり、もしかしたら"魂"の問題かもしれない、と思っている。

例えば仏像を修復する時に、日本の場合は修復作業も彫る事に熟練した仏師が行うようだ。イギリスで例えば教会にある大理石の像を修復する場合は、彫り師ではなく、ストーン・コンサベターかオブジェクト・コンサベター、いずれにしても修復の専門家にアプローチする。日本では仏像に化学接着剤を使用することは躊躇われ、一方ヨーロッパではそれが科学的に証明され合理的である場合は宗教像であっても使用されるし、心理的な躊躇いは無い様に感じる。 

ものに魂が宿ると何となく感じる、というのは日本だけではないけれど、粗末にしたらバチがあたる、というのは日本特有だろうか。私は修復で扱っているものに出来るだけ誠心誠意向き合いたいし、それが何であっても一律でありたいと思っているけれど、特にそれが人物像だったりすると、適当な仕事をしたらなんとなくバチが当たる様に、知らずに思っていることに気づいたりする。

八百万の神と万物には魂が宿るという宇宙観。人とものの関係は、何か断絶していなくて繋がっていて曖昧なような。侘び寂びって、ものの劣化に共感する事じゃないかとか思ったり。

まごころを込めるとか、魂を吹き込むとか。日本の工芸に込められた時間や技術や繊細さや集中って凄いなって思うのだけれども、人間国宝というものがある様に、つくられたものも宝、つくる人も宝という事は、技は魂でものにも人の内にも存在するということか。

Intangible heritage,無形文化遺産という概念が出てから久しい。しかし、これはダンスや民族音楽も触れないけど遺産だよね、という有形文化遺産からの拡張を超えて、もっと多様になってきている。"価値"って何か、私たちの置く価値の所在ってどこかという根本に戻って、私たちに大切なものっていったい何だろうという認識のもと、守られるべきものは守られるべきだし、変えるべきものは変化し発展していくべきだと思う。

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