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そんな母でも餃子だけは買ってきた。完璧な社会人で妻である母の、私が見つけられる唯一のスキ

子供のころ餃子はサブメニューだった。
なんかもう一品、というときに出てきたように思う。

それは手作りではなく今でいうチルド食品。
お手頃価格でどのスーパーでも売っていて、家族みんなが嫌いじゃない。忙しかった母にとって焼くだけでいいチルド餃子はお助け食材だった。

独身時代は、当時花形だった地銀に勤めていた母は、25歳の時父と見合い結婚して寿退社。仕事が続かない父に付いて西日本中引っ越した末、結局地元に戻って気難しい義父母と同居した。凝りもせず数年おきに失業を繰り返す父を支えて内職、パート、身内の飲食店や近所の卸売り店で経理をして働き続けた。記憶にある母はきれいだったが、いつも厳しい表情をしていた。仕事のできる母はどの職場でも信頼された。

その上家事も手を抜くことはなかった。母と一緒に本を見ながらグラタンを作った。春先にイチゴがたくさん出回るようになると季節に1度はジャムを作った。食育などという言葉がない時代、母はごく当たり前にそれを教えてくれた。

母は私の理想であったし、今もそれは変わらない。

そんな母でも餃子だけは買ってきた。完璧な社会人で妻である母の、私が見つけられる唯一のスキである。

母は今年81歳になる。
いつ実家へ行っても、旅館が始められるくらいどの部屋も整理整頓され、チリ一つない。
冷蔵庫を開けると、まるで家電CMのように常備菜が詰まったタッパーがそろい、料理のたびにゴマがない、豆板醤は何処、と探し回る不肖の娘とはえらい違いだ。
去年自分のスキルに自信が持てないと免許を返納しスマホデビュー後ネットショッピングができるようになった。

余計なお世話と思ったが、いまのところの生活設計を聞いたことがある。が、やっぱり要らぬ心配だった。今までの資産状況を要領よくかいつまんで説明してくれ、保険も過不足ない。

最近では週に一回ある地域の集まりで「地域包括センター」のことを知り「介護が必要になったりお金の心配が出てきたりしても、包括センターに行けば相談に乗ってもらえるらしいのよ」と嬉々として教えてくれる。

もう参りました。

どうやら私は、父に似たらしい。

今度冷凍餃子をもって遊びに行くね。。





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