見出し画像

メジロバナの咲く 3巻までの感想

メジロバナの咲く 2024,8,30

本日2024年8月30日、「メジロバナの咲く」第4巻が発売された

現在、3巻までを読み終えている状態でこの文章を作成している
3巻までの私のこの作品に対する感想を記述し、すっかりと考えをまとめた後に、最新4巻を読み、その感想をまた別で記事に書いていきたいと思う

本作のあらすじは
”海外の女学園とその寄宿舎を舞台に展開する、著者初の本格的長編ガールズラブ待望の第1巻。
繊細な描線で紡がれる耽美の極にありながらも風通しの良い物語です。”
とあるように、女学園を舞台とした王道といえば王道な百合作品である

主人公は明るく奔放、快活な学園2年制の少女ルビーと、ヒロインは「鋼の」という形容詞がつけられるようなお堅い3年生ステフ

女子校ないし女学園を舞台にした作品で先輩後輩関係というのは、王道中の王道
パンを咥えた慌てん坊な女の子が曲がり角で男子生徒とぶつかり、実はその男子生徒が転校生であれやこれやとあって結ばれるくらい王道である

その王道に対して、例えばその学園は地球外生命体から地球を守るための訓練校である、というような付加価値を舞台設定に加えることで王道という批判を退けるのだが、本作「メジロバナの咲く」は真っ直ぐに女学園百合物語を展開している

ではそんな本作の魅力はどこにあるのかと言われたら、キャラクターの魅力だろう
主人公のルビーのびっくり箱のような想像できない動きをし、感情を思いのままに発する様も見ていて爽快だが、私はステフの魅力こそが本作の軸なのだと思う

ルビーとステフが距離を縮めるキッカケは第1話のクリスマス休暇で寄宿舎への居残り組が上記2名しかいないというところから始まるが、この第1話のステフの発言がすごい
家庭の事情から自暴自棄になり「私…なんかいてもいなくても同じなのよ」
「私は何もできない」「私にはなんの力もない」といった言葉をもらすルビーに、「そうね そう思うわ」というステフ
「あなたには何の力もない」「私もね」とルビーのセリフをなぞりながら言い、しかし
「でもいてもいなくても同じとは思わないわ」
「私はここにいる」
こう言い放つのですよ

この「私はここにいる」というセリフを発している時の窓際に腰掛けタバコをくゆらせるコマも引き込まれる良い絵なのですが、それよりも「私はここにいる」というセリフはすごい

お堅いキャラクターと快活なキャラクターとの恋愛物語といえば
お堅い方に実は心の弱さがあり、そこから殻に閉じこもるがゆえに外部の人間からは冷徹、といった評価をされるもので
その弱さを認め、それでも良いと言ってくれる主人公と恋に落ちるというのがよくある流れかと思うが
ステフはそこが違う、明らかに人間として心が強すぎる
果たしてステフは恋愛感情なんてものを抱くのだろうかと言うのが1巻を読み終えた際の感想であった

更には2巻、第7話
父親に学校へ行かせてもらえないルビーの状況に対して、校長とステフが言い合いをするシーン
娘とはいえ学校へ行かせず軟禁状態にする父親は危険人物だ、という校長に対してステフが「ルビーは父親が罪人になることは望んでいない、父親を愛しています」と返す
しかし校長は「それは愛ではないわ」と教育者としての反論を行うが
続く「愛の定義に自信がおありで?」というステフに何も言えなくなってしまう

おいおい
この人、鋼のステフなんて言われてるのに愛の定義で大人と議論して勝てる程の人生経験積んでるよ、どうすんだよこの人、どうやって攻略するんだよルビーさん…というなんだか焦りのような感情を抱いてしまった
ここらへんは校長とステフの微妙な関係性もあってのシーンなので、これだけ切り取ってステフはすべての愛を知り尽くした聖母だなんて言わないが、少なくともこれまで抱いてきた”大人な女性”という要素は私の中で確固たるものになった話でもある

ルビーがステラと結ばれる展開が予想できない、ペット的な可愛らしさで攻めればいけるのか?
第6話、ちょっとしたことから拗ねて伏せるルビーに思わず頭をなでてしまうステラ、その時のステラの自分の行動に驚いたような目の開き方
ルビーはやはり可愛らしさで寵愛を受ける、そういうポジションを狙うしかないのか

3巻ではキャラクターも増えてさらなる展開の読めなさを出してくるし
ルビーとステフの物語がどうなっていくのか楽しみでしょうがない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?