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空港キャンプ

夜に眠れないので人と電話をしていた。そして声の小さな人と話したところで、眠りについた。その人はおやすみなさいと言ったのに電話を切らなかったので目が覚めるまでは繋がっていた。起きたのは5時半などの早朝だった。恐らく強い雨の音で覚めたのだ。3時間ほど繋がっていた電話を切り、そしてiPhoneのアラートが鳴った。6時になる頃には下の階から水を使う生活音が聞こえていた。何度も鳴るアラート。それから、台風の影響が想像より大きい気がして不安で情報収集をしていた。多摩川が氾濫しかけている、邪魔なインプレゾンビの中、電車の見合わせについての情報、これからの天気についてのワードを検索し続ける。中止や日程の変更も考えたが、8時になる前に、カメラマンをいつもお願いしている人から今日のカメラどうしようか、と来たので、6時前の雨音を知る人と、そうでない人とでは感じ方が違うように思い、これから弱まるようにも感じられたので、一眠りしてみて、雨は弱まって来たのでのろのろと準備をして成田空港へ向かった。

撥水の長袖長ズボンを着替えに、下着や洗顔用具、メイク、日焼け止め、折り畳み傘、読まなかったカントやアガンベンの「スタンツェ」をリュックに背負ったが、それらは思うよりもとても軽かった。歩き続けるならこれくらいで良いだろう。家の隣の川はかなり水位が上がり、速いスピードで流れ、小さい流木が見えた。寧ろここから避難しているくらいである。雨は弱く、前を水色のシャツを着た女性が歩き、その背中は汗染みで濡れていた。パウチされたカルピスをスーパーで買い、電車に乗った。そのカルピスの味は、何の変哲もないカルピスだった。電車に乗っている時間は妙に短い。乗り過ごさないように、寝不足の頭で気を張っている。三田駅から都営浅草線エアポート特急に乗り換えた時、前に中国人と思わしき家族のような人々がスーツケースを持って乗り込んだ。娘は私の近くに初め座った。母親と息子は私の前の座席に。隣に座るよう言われた娘だが、荷物でぎゅうぎゅうになるのでそうしなかった。母親は二つのスーツケースを持っていて、一つは転がって壁にぶつかってしまった。大きな音が鳴った。その時母親は目をまん丸にして私の方も見た。笑って良いのかわからないが、面白いことをお裾分けしてくれた様にも思える。彼らは中国語と思われる言語で大きな声で序盤は話していた。時間が経つとその声は小さく変わっていく。息子はイヤホンを付けた。娘が途中で彼の隣に座ると、二人は英語で会話をしていた。娘はどことなく私の姿を見ていた様な気がする。やがて彼女の隣に老女が冷たくて硬い顔で座る。ずっと座っているとお尻が痛かった。カルピスを少しずつ飲んだ。その景色の後半は、農業の風景と開発された風景を繰り返して到着していく。5年前にパリへ行く時に見たが、その時の方が畑に感動していた。そこから第二空港ビル駅で降りる。娘は、混んできた車内の中で人の足元、靴の側を這う蟻を見ていた。

改札を抜けると、今は使われていない荷物検査のためのゲートがある。成田闘争の名残。そして、目についたのはドトールだった。バスターミナルで、博物館へ行くためのバスを探す。女の子たちが、大勢でわぁっとそのバスに乗り込む。バスターミナルには、寺か何かの遺構が残されていた。バスは無事に目的地の方向に進んでいる。その近くまで来たので、バスを降りた。緑がわあっと見えていて、夏の匂いがして、湿っていて、虫の声がして、そういえばキャンプってこんな感じがする気がして、キャンプしてるな、と思った。飛行機が真上を飛んで行く。近い。

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