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正月のめでたい雰囲気に触発されて新年の抱負でも

全てをあきらめたあとで かすかに響く
ビートがノックをする 君の窓を
さあ
おはよう まだやろう
おはよう まだやろう
    おはようまだやろう/ゆらゆら帝国


 僕は今年、色んな事に挑戦する。
といういかにも元旦らしい浅い書き出ししか思い付かなかったのは、あまり慣れていない日本酒をしこたま飲んだせいだと信じたい。新年1発目でゆらゆら帝国の『おはようまだやろう』を聴いてなんかやろうという気が起きたので、新年の抱負でもつらつらと書いていこうと思う。


 ゆる言語学ラジオが好きだ。『「象は鼻が長い」の謎』からこのチャンネルにのめり込んで早半年が過ぎた。自分は言語学素人だと予防線を張りながらも僕ら素人からすると研究者さながらの話を面白く分かりやすくお話する水野さんと、それに対しプログラミングやインターネット文化など自身の知識・経験を元に気の利いた相槌を打つ堀元さんのお二人の会話は飽きる事なく聞くことが出来る。

 そんなゆる言語学ラジオの直近の動画に痛く感銘を受けた。温泉宿で「無知」をテーマにダニング=クルーガー効果や言語学者である窪薗晴夫先生の著書について語る回だ。(文末にリンクあり)

 ダニング=クルーガー効果とは、簡単に言えば以下のグラフだ。勉強を少しした人は自分の能力を過信して己が新世界の神にでもなったような気になるが、その後も勉強を続けると逆に分からない事が増えていき、自分は愚かだったと認識する現象の事だ。



 窪薗晴夫先生は著書の中で、知識が増えれば増えるほど疑問も増える、人の知識量はどのくらい物事を知らないかで決まると述べたそうだ。ある学問を勉強していくにしたがって、その学問にはどういったジャンル分けがあって、自分はこのジャンルは網羅したけどあのジャンルはまだ勉強出来ていないな、このジャンルのここからここまでは分かるけどここからは分からないな、という風に自分の分からないが分かると言う。

 例えば「素粒子物理学という学問に関して何が分かりませんか?」と尋ねられた時、生物選択の僕は「何も分かりません」と答えると思う。僕の処理能力では物理選択だったとしても結果は似たようなものになりそうだが。一方で素粒子物理学に関する研究している方は、この質問に対して「◯◯を専門にやっているので、△△や××はある程度学びましたが、□□については専門外なので分かりません。」のような回答をするだろう。これが自分の分からないが分かる状態だ。



 思い当たる節しかなかった。
 APEXでダブルハンマー(1試合中にたくさんダメージを出した人に与えられる称号で、持ってるとなんかこうかっこいい)を取った時や、 Twitterで自身のツイートがプチバズった時、自分の作った音楽を友人に褒められた時なんかに僕の自己肯定感は有頂天に昇る。「うわ俺すげーかっけーたまんねーっ」てなる。でも次第にそれが浅い考えだと痛感する。APEXはもっと上手い人が出てきて自分のチームが蹂躙されるし、Twitterはアンチコメントが湧いてくるし、プロの音楽を聴いてると感動や興奮で言葉が出なくなる。

 結局人は潜在意識下で自分を過大評価したいのだ。そして自分の能力が低いと知る事を恐れているのだ。



 この話をする時、僕はいつも漫画『ソラニン』の一場面を思い出す。大学の軽音部上がりでプロを目指さない言い訳を模索しながら細々とバンド活動を続けている種田に対し、彼女である芽衣子が種田の本心を突きつけるシーンだ。この後種田は、評価される事に対する恐怖心をぽつぽつと語る。音楽の才能がなかったら自分は何者でもないかもしれないという恐怖心である。

浅野いにお『ソラニン』1巻115Pより



 僕は、種田だ。ていうかほとんどの人は種田だと思う。好きなものは人それぞれ違うが、ある程度それを好きな自分は他とは違うという自信があり、かといってそれをひけらかして自分より詳しい人に突っ込まれる事が怖く勇気の出ない、そんな人間が殆どだろう。

 でもそれは物事に対する熱量が中途半端だからなのだと思う。ゆる言語学ラジオ内で堀元さんは、「自身を過信している人は、自分の技能の見積りを間違っている」と語る。本当にそうだと感じた。中途半端に知識や技能を付けた人間は、自分が今身に付けたものがそのコンテンツ全体の何分の1、もしくは何十分の1なのかを理解していない。しかし、知識量を増やして行くにしたがって、コンテンツ全体を見渡せるようになり、自分は何が分かっていて何が分かっていないのかの見積りを立てる事が出来る。これがダニング=クルーガー効果が起こる要因だ。

 「俺APEXめちゃくちゃ強いから」って過信しながらランク戦に挑まなかったり、「俺文章超上手いから」って言いながら読むばかりだったり、「俺音楽詳しいしかっこいい音楽作れるから」って言いながら作らなかったりじゃ駄目なんだと改めて痛感した。


 今年は、今年こそは、色んな事に真正面から挑戦する。その結果がどうであれそのコンテンツを好きな事には変わりないと思う。拙い文章を書き続けますが、どうか生暖かい目で見守っていて下さい。
良いお年を。

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