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A面とB面の間を

 カセットテーププレイヤーを買った。それはもう滅茶苦茶にかっこいいやつ。地元の蔦屋書店で隣町の雑貨屋がポップアップをしており、そこにはどうあがいてもお洒落なカセットテープたちが粋な説明文とともに並べられていた。ジャンルや国を問わずお店の人のセンスのみで選び抜かれたテープたちは、みなどこか誇らしげだった。テープの他にその雑貨屋オリジナルのプレイヤーも販売されていた。ボディが透明であるため、聴くテープそのものの色によってプレイヤー全体の色が変わる。「喉から手が出るほど」という慣用句は飢餓状態に食べ物を欲している様子が由来らしいが、そのプレイヤーやカセットテープは耳から手が出るほど欲しかった。

 あいにく僕は自身の趣味を全面的に支援してくれる財団を持ち合わせていないため、散々テープを試聴したのち渋々店を後にした。あのプレイヤーを買うには服か漫画かお酒か、何か趣味を我慢しなければならない。そんな取捨選択を出来るほど僕の脳は高性能ではなかった。しかし帰宅してからもあのお洒落なプレイヤーが脳裏にこびりついて離れないのである。買わないと後悔するという安直な考えにたどり着き、再び来店し購入に至った。

 最近散歩が日課になりつつあるのは他でもないカセットテープのおかげだ。金木犀の匂いが漂う夕方の河川敷を歩いているとき、頭の中のAマッソ加納が「秋やね」と呟いた。


 後輩が休職しているらしい。僕の卒業を機に連絡を取るのは互いの誕生日くらいになっていたが、珍しく連絡が来たため何事かと思った。自慢でも何でもないが僕にも似た経験があるし、世の中どうとでも生きられるというのが何となくわかってきたので、話を聞いたうえで僕の考えを述べた。後輩は退職イコール転職という考えをしており、次も、その次も同じ職種に就くことをとても憂いていた。無責任だがそれ以外の選択肢はいくらでもあるからとりあえず休むのが先決だと、言葉を選びながら伝えた。互いに仕事の話をするようになった事、自分が社会人として先輩面をしている事、気軽に会えない時代になった事などに途轍もなく嫌気がさしたが、たとえ少しだとしても自分を頼ってくれている事だけはすごく嬉しかった。


 0か100かで考えてしまうことがよくある。「何かを得るためには何かを捨てろ」。本当にそうだろうか。それくらいの気持ちで何かに挑む姿勢はもちろん素晴らしいが、その中間はないのだろうか。趣味を、労働を、生き方を、いい塩梅で過ごす方法を模索している。難しいことを考えてもしょうがないので、ひとまずイヤフォンに手を伸ばした。


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散歩日記

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