高2の夏、初めての海外
高2の夏休みの間、私は学校の語学研修でニュージーランドに留学した。
初めての海外、初めての飛行機。
キャリーケースに洋服と必要なものを詰めて、用意するものの表と睨めっこしながら、母にも確認してもらいながら用意していた。
あの時のキャリーケースには期待や不安、いろんな感情も一緒に詰められていたと思う。
親のいない、知らない場所へ行く不安。
ワクワク、ドキドキよりもゾクゾクを感じていた。
恐怖と興奮。
なんだかとてもソワソワしていた。
当日は楽しみであんまり寝れなくて、朝8時に遠くの市内の空港に現地集合だったため、朝早くに起きて、お母さんの朝ごはんを食べ、デカいキャリーケースを持って車に乗り込んだ。
お母さんに駅まで送ってもらって、一緒に行くメンバーと合流し、新幹線に乗り込む。みんなのお母さんたちと新幹線の窓から手を振って別れた。
新幹線で、都市部まで行き、タクシーに乗って空港へ。
この時初めて子どもだけでタクシーに乗った。
手にお金を握りしめながら、気分はなんだか大人だった。
空港まで送ってもらって、お金を支払い、空港で先生と他の生徒たちと合流。
パスポートを握りしめ、初めてゲートを通った。
あれ、パスポート使わないんだなと思いつつ、機内へ。
座席に座ると、なんだか旅行というより、使命に燃えたオリンピックで活躍する選手の様な、遠征の様な、変な気持ちだった。
学校の語学留学というのが、私にそういう気持ちにさせたのかもしれない。
勉強なんだぞ、学ぶんだぞと気負っていたのかも。
初飛行機は飛行機が動き出し、スピードを上げていく感じを初めて経験したのでびっくりした。
おぉ!おぉ!うわぁーと友人と小さな声で言いあった。
飛行機の浮き上がる時に浮遊する感じがジェットコースターの頂上で感じる内臓がふわっとする感じに似ていて、少し怖かったけれど耳抜きも上手くでき、飛行機が安定してからは全く恐ろしいなど思わなかった。
まだこの時は忘れていて知らなかったが、まだ全然国内線。
2時間くらいですぐ着いて、降りますよってなって、え?早くね?と思ったものだ。
「ニュージーランド近くね?」
と友人に話したら、何こいつって顔で、「まだ東京だよ」と言われた。
あ、そうや、東京に行って、国際線に乗るんやったと東京についてから先生の説明を思い出した。
初東京。
と言っても空港だったので特にどこにも行くことなくすぐに国際線に移動して飛行機に乗った。
「やっとか」と思ってもニュージーランドへの道のりはまだまだ遠い。
一旦、シンガポールのチャンギ空港へ行き、数時間待って、ニュージーランド行きへ乗る。
シンガポール行きに乗る時、ちゃんとパスポートが必要だった。
「国跨ぐもんね」と友人と言って、ドキドキしながらパスポートと搭乗チケットを見せた。
シンガポールのチャンギ空港に着いたら、長い長い待ち時間が始まった。
自由時間を与えられ、私たちは巨大な空港内を散策した。
シンガポールのお金なんて持ってないし、英語での注文も怖過ぎてできないので、ただ空港を探検した。
私たちにとっては大冒険だった。
異国の言葉しかない場所。
知らないモニュメントが飾ってある。
一期一会のこの時しかすれ違わない人たち。
搭乗口に人がいっぱいいる!というだけですげぇと言い、飾られている展示物を見て歩いていたら躓いたってだけで大笑いしながら、なんでも面白がっていた。
降りてみよう、登ってみよう、歩いてみようと好奇心の赴くままに散策した。
温室の様なジャングルみたいな場所があって、すげぇと見上げて口を揃えて言っていた。
端から端まで歩くのに疲れて、椅子に座って休憩して、いろんなショップを見て周り、歩き回ってを繰り返すうちに集合時間になってしまった。
やべぇ、ここから集合場所は遠い。
焦った。
遠くまで来てしまっていたのでどれだけ走っても間に合わない。
結局5分遅れくらいで集合場所について、引率の先生にものすごく怒られた。
時間的にはまだまだ余裕があるので、みんなで一ヶ所に集まり座って時間まで待つ。
すごく、すごく待った。
遅れたのは悪いけど、そんな怒らんでもよかったやんっていうくらい待った。
5分なんて誤差に感じるくらい長く感じた。
結局、遅延か何かで深夜くらいの時間まで待つことになり、みんなうとうとなり始めた。
語学研修の参加者は高校1、2年生しかいなかったので私たちは当時皆15、16、17の子ども達。
眠かった。
先生に見守られてベンチに座りながら寄り集まって寝ていた。
先生に起きろーと言われて起き、移動しまーすと言われて寝ぼけながら先生の後をカルガモの子どもの様について行った。
空港の中に、モノレール?の様なものがあって、みんな興奮して目もぱっちり。
空港内を移動するのにモノレールがあるんだ!とすげぇ、すげぇと言いながら乗っていた。
搭乗口に行き、飛行機に乗る。
もぉ、慣れたもんよと意気揚々だった。
横に座った子とちょっと話して、すぐ寝た。
真っ暗になり、誰かのいびきが聞こえ、うるさかったのを覚えている。
肌寒いし、ブランケットにくるまって、アイマスクをして寝た。
心細い様な、でも、みんなでいるから安心している様な不思議な気持ちの夜だった。
朝起きて、食事時になり、機内食。
ビーフオアチキンかと思ってビーフって言うぞと思っていたらその日はチキンオアフィッシュで、「あ、チ、チキン」とドギマギしながら答えた記憶がある。
チキンはなんだか香草が効いていて、食べたことのない味がした。
おしゃべりをしたり、映画を見たり、後どのくらいでつくのかを確認したり、そうこうしているうちに、外の景色は海から陸地が見えてきて、どんどん近づいて、空港に降り立った。
あぁ、疲れたーと伸びをしながら降りて、空港内を歩いてキャリーケースなどの荷物を受け取りに行く。
先生に羽織るものを出しておきなさいと言われて、私はパーカーを取り出した。
移動して外に出ると、空気がひんやりとしていて、寒くて身震いをした。
パーカーを羽織り、空気を吸い込むと、朝露に濡れた様な濃い緑の匂いがした。
日本は真夏なのに、ニュージーランドは寒くて、季節が反対って本当だったんだ!と思った。
外国って感じの匂い!
ここで私たちはまたすげぇ、外国だー!と興奮していた。
さっきまでシンガポールにいたのに、空港内だったからか外国という感じもなく、初海外認定の脳内判子はニュージーランドで押されていた。
移動して、バスに乗り、芝生のところに行った。
あそこはどこで、なんのために行ったのか、今となってはとんと覚えていない。
とにかくあたり一面見渡す限り芝生だった。
靴は泥まみれになったし、寒かった。
でもそれが嫌じゃなかった。
「おもいでー」とか言って、靴についた泥を見せ合ったりもした。
今思うと何が面白かったんだろうか。
その時は、本当になんでも楽しかったし、面白かった。
「向こうに丘がある!テレビターズ出てきそう」とか言っていっぱい写真を撮って、再びバスに乗り移動する。
見渡す限りの原っぱ。
ぽつんぽつんと何かがいるのが見える。
羊やー!
と友人とバスの中で羊がいることに興奮した。
で、気がつく。
ずっと原っぱ。羊と牛いっぱいいるわ。
最初のうちは動物がいるだけで盛り上がっていたけれど、この年頃の興味の無くし方は残酷なくらいわかりやすく、本当にすぐ飽きる。
道中、バスガイドさんに「もう少し向こうに行くとロードオブザリングのロケ地があるんですよー」と言われ、映画好きの私はマジか!と大興奮だった。
その後、オークランドの中華料理屋さん(?)に連れて行かれて昼食をとった。
春巻きとか、炒飯とか、麻婆豆腐とかを食べて、お腹は満たされ美味しかったが、全然ニュージーランドっぽくはなかった。
そのあとギフトショップに行ってお土産を買った。
まだ何もしてないし、目的地へ着いてもないのにお土産を買わされた。もうこの先買うとこないからと言われて、今から数週間あるし、食べ物は空港で買えるから今は買いなさんなと言われ、ペンとかキーホルダーを買った。
お土産ショップを出るとオークランドタワーが見えた。ショップに入る時は背を向けていたので気が付かなかった。
どこの国にもタワーってあるんだなと思った。
トイレに行きたい人は公衆トイレに行きなさいと連れて行かれ、トイレに入ると銀色でびっくりした。
お尻をつけるととんでもなく冷たくて、少し浮かせて用を足した。
TOTOのトイレが恋しかった。
バスに戻って、「トイレやばくない?」「めっちゃ冷たかったね!」「外国のトイレってあんな感じなんだね」と報告しあった。
あの銀色にも何か意味があるのかもしれないが、この時、日本のトイレはとても清潔で優秀なのだなと気がついた。
その後、留学先の学校へついて、敷地内のチャペルに集められ、先生達の紹介や挨拶があり、ホストファミリーが迎えに来た人からホストファミリーとお家に行くという流れだった。
待っていると、とても綺麗なお母さんと10歳の男の子が来て、私の名前を呼んだ。
映画の中の俳優さんみたいな親子だった。
名前を聞かれ、名乗り、確認をして、ウェルカムとハグをしてくれて、行こうとジェスチャーをされ、車に乗った。
車は日本車で、くるくる窓タイプの車だった。私はくるくる窓タイプをこの時初めて見た。
男の子が車の中で私に一生懸命簡単な英語で話しかけてくれていた。
何を言っているかはさっぱりわからない。
おう、おう、いえす。
そんな感じで返して、家に着くと、家には私と同じ歳のお姉ちゃんもいて犬と猫がいた。
ハングリーか聞かれて、イエスというと冷蔵庫から夕飯の残りであろうラザニアをチンして出してくれた。
めちゃくちゃ美味しかった。
それから、日本から持ってきたちょっとした駄菓子と日本土産や半被を渡した。
するとYouTubeで知育菓子を見せられ
ヤミー?と聞かれた。
ヤミーと答えるとリアリー?と驚いていた。
いえす、いえす。
こんなに興味津々なら持ってきてあげればよかったなぁとちょっと後悔した。
で、何か知ってる共通の話題をと思い、ジブリを知ってるか聞くと知らないと言われたので会話が広がらなくて気まずかった。
しかし、すぐに10歳の男の子(N君とする)が猫の説明をしている様な感じで私に一生懸命話しかけてくれていた。
私がわからない、わからない言ってたら、Google翻訳で何か言って、文字が斑ら猫という画面を見せられた。
斑ら猫?
なんじゃそりゃ?
困って、斑ら猫?と吹き込み、翻訳を見せるとお姉ちゃん(Aちゃん)とN君は爆笑していた。
え?なに?
もしかして、三毛猫だった?
いや、でもこの猫ちゃん黒いけどと思いつつ、
三毛猫?とGoogle翻訳に吹き込んで、訳してもらうとまた2人は爆笑。
でN君がイヤイヤと首を横に振り、また何かを吹き込んで斑ら猫という画面を見せてきた。
だから何それ?
結局わかんねぇなって3人で笑った。
もしかするとこの時彼らは雑種か保護猫って言いたかったのかもしれないなと今では思っている。
シャワーを浴びさせてもらい、寝室に案内された。
立派なベッドのあるゲストルームだった。
夏休みの宿題で、夏目漱石のこころを読まなきゃいけなかったので読みつつ、就寝した。
次の日の朝、トイレに行くとトイレはTOTOだった。
安心、安全のTOTO。
安心してトイレを済ませ、制服に着替えてリビングに行くと、この家族のパパがいた。
グッモーニング。ナイストゥーミーチュー。
そう挨拶をして握手をした。
パパが薄いライ麦の食パンを2枚焼いてトーストし、自家製バターを出してくれて、エスプレッソマシンでコーヒーを入れてくれてシンプルなのにオシャンティな朝食をいただき、ママがボックスに小さいりんごと切り分けたケーキとお菓子を入れて3人分用意して渡してくれた。
これはいったいなんだろう。
これが、お昼ご飯なのかな?
外国はランチにりんごとかお菓子食べたりするの映画で見たことあるしな。
そう自分を納得させ、渡されたボックスはなんなのだろうと思いつつサンキューと答え、バッグに入れると、ママに行くよと車に詰め込まれ、ママは私とN君を、パパはAちゃんを学校に送って行った。
徒歩か、バス通学じゃなく、送ってくれるんだよかったー!と安心した。
外国の公共交通機関うまく乗れる自信ないもの。
学校の前で降ろしてもらい、学校の門をくぐると同じ制服の友人がいた。
もぉ、安心感がすごかった。
会うなり、「うわぁー、日本語ー!」
と2人で言い合った。
午前中、英語の勉強を楽しくして、トイレに行っていいですかはバスルームだと言われへぇって言いつつみんなでメイアイゴートゥーザバスルーム?と意味もなく繰り返し練習した。
体育館の2階にある教室からはガラスの向こうに体育館が見下ろせる様になっていて、ドン、ドンと足音が聞こえ、ガンバッテガンバッテゴーゴゴーという声が聞こえた。
絶対そう言ってはいないのだけど、この時の私にはそう聞こえた。
で、体育館を覗くと、男の子たちがパフォーマンスをしていて、それがハカというものだと教えてもらった。
ハカを勝手に2階から見学して、拍手して、でまた勉強に戻る。
朝のおやつ休憩の時間になり、先生たちがコーヒーを飲み始めて、みんな朝持たされたお菓子ボックスを出し、
これか?
これ食っていいのか?
と探り探り様子を伺っていると、
モーニング・ティータイムだと言われ
食べていいよと教えてもらい、持たされたお菓子を食べた。
この時初めてりんごを丸齧りした。
友人もりんごを持たされており、剥いてないりんご初めて食べると2人で言いながら齧った。
かじり取ることができなくて、歯形がついたりんごができ、「グッと行くんよグッて。で、むしり取るんよ」とアドバイスされながらりんごを食べた。
少し硬くて、ちょっと酸っぱい林檎だった。
食べ終わった時、カートゥーンで見る様なリンゴの残骸に達成感を覚えたが、顎と歯がちょっと痛かった。
英語の授業の続きを受け、チャイムが鳴ると食堂へ案内される。
私たちはこの学校の生徒たちに混じりランチを食べた。
パンとスープとジュースのシンプルなランチを食べ、勉強を再開する。
幼稚園に行って現地の幼稚園生と折り紙を折って遊んだり、マオリの人たちのコミュニティに行かせてもらったり、老人ホームに行って日本の文化を知ってもらうために茶道部だった私ともう1人の後輩ちゃんと茶道を披露したり、スキヤキ(上を向いて歩こう)を歌ったり、現地の子達とバスケットボールをしたり、毎日何かしらのイベントがあって、楽しく過ごした。
ホストファミリーの家には私が小学生の時にやっていたWiiが現役で活躍していて、ミーを作って、楽器の演奏をしたり、テニスをしたり、スキーをしたり、日本のゲームを通して仲を深めた。
任天堂はすごいなと思った。
パパはファイヤーマンでオークランドのタワーで駆け上りタイムを図るレース?の様なものが今日あるんだと教えてくれ、私は日本の感覚でファイトと言ったのだけれど、少し驚いた顔をしてサンキューと笑って言われた。
学校で先生にその話をするとファイトは日本語では頑張れって感じで使うけど、英語じゃ戦え!って言われた様なものだよと言われ、とても恥ずかしかった。
頑張れって言いたかったのだと弁明の手紙を先生に教えてもらいながら書き、その夜に渡した。
パパはイッツオーケー、アイノー、アイノーとわかってたから大丈夫だと笑ってくれた。
週末はホストファミリーの親戚の家の農場に羊とアルパカと鶏を見に行き、そこの子どもたちとN君とAちゃんと巨大なトランポリンで遊んだり、ボール投げをしたり、鶏の餌やりを任され、手にいっぱい餌を乗せられ鶏に襲われたり、いろんなことをした。
英語はわからないことの方が多かったが、パッションで乗り切り、明るくニコニコ笑ってたらその農場の家のおチビちゃん達からいいやつ認定されたりもした。(ディスイズヤミーとお菓子を口に詰め込まれ、お土産をいっぱい持たされ、お別れの時に泣いてくれた)
次の週末にはとんでもない豪邸をセールだからと見に行ったりもした。門があって、プールがあって、リビングに暖炉があって、廊下に鎧があり、ビリヤード台とかシアタールーム、グランドピアノルームがあったりして凄かった。
簡易版、華麗なるギャッツビーって感じ。
ジャストバイルッキングとか言ってたので、見るだけ見に行った感じだったんだと思う。
私はへぇ、そんな気軽に家を見に行くんだなぁと思った。
また次の週末に、家族で犬の散歩をして、住宅街をぐるっと回ったりしたのだけれど、外国の住宅街ってただの家なのにカッコよく見えた。でも、その辺にプケコという鴨くらい大きい足の長い鳥がいたりしてちょっと怖かった。
シャワー上がりにはホーキーポーキーというとんでもなく美味しいアイスをいつもくれた。
英語はわかんないから本当に簡単な英語とパッションと電子辞書で乗り切った。
ただ、夕食を食べに行こうとした時、お酒を扱う飲食店で明らかに人種の違う私を見て親じゃないから責任が取れないでしょと店員さんに言われて食事ができなかったりしたこともあった。
その時N君が一生懸命、イッツノットユアフォールト!(君は悪くないよ!)と言ってくれていた。
私自身、何かあった時に責任が取れないという理由の正当性に納得できたし、そうだよなって思ってはいた。
けれど、N君が私が嫌な気持ちにならない様に配慮してくれているのが伝わり嬉しかった。
グッドウィルハンティングでこの言葉を知っていて、意味を知っていて良かったと思えた瞬間だった。
結局ドミノピザ買って、ニュージーランド版のSASUKEを見ながら夕食をとった。
お別れの日の数日前にはグランマの家に連れて行ってくれて、グランマが元々ホストファミリーをしていて、ママはその環境で育ったから、いまホストファミリーに登録しているのだと教えてくれた。
グランマは私を優しく抱きしめてくれて、ウェルカムと言ってくれた。
お肉の料理や、茹でた野菜が並び、歯が溶けちゃいそうなほど、とんでもなく甘いメレンゲのケーキを用意してくれていた。
N君が、ビーケアフォー。イッツソースウィートと教えてくれ、とりわけを少しにしてくれたので全部食べ切ることができた。
とてもおいしかったけれど、日本にはないガツンとした甘さで、こういう味が外国の味なんだなぁとぼんやりと考えていた。
お別れの前日にはホストファミリーの人たちを招いてお別れパーティーをして、私はここでも茶道を披露した。
お別れのお手紙を家に忘れ、大恥をかき、申し訳ないと謝罪して家でお手紙を読むと、N君が泣いて、抱きしめてくれた。
本当に短い夏休みのひとときで、泣いてくれるのかと驚いた。
私は茶道部でもあり、華道部でもあり、写真部でもあったので写真をたくさん撮っていた。
けれど一眼レフを学校に向かう途中鞄から取り出そうとして落としてぶっ壊してしまい、スマホにたくさん撮った写真は何台か経由するうちにデータが飛んでしまい、あまり残っていない。
(旧スマホ本体にあるのだと思うけれど、どこに置いたのか、、、要捜索である)
一眼レフのSDカードにあるデータがパソコンに取り込むと見れなくて、破損していますと表示されてしまい、かろうじてプリントアウトしていた何枚かしか残っていないのが残念だ。
(詳しい人に聞いて、どうにかしてみようと思っている)
お別れにいただいたグッバイギフトのオールブラックスのニット帽や羊のぬいぐるみ、鳥のキウイがラグビーのユニフォームを着てお腹を押すとハカが流れるぬいぐるみ、お花の形の石鹸などたくさんのものをいただき、私も泣いてしまった。
この時いただいたものは今でも大切に持っている。
帰国の際、家族みんなで学校に荷物ごと送ってもらい、それぞれのホストファミリーに別れを告げ、皆それぞれの家族に手を振り、バスに乗った。バスの中でみんな泣いていて、みんなそれぞれいい経験になったのだろう。
(私はこの後空港の手荷物検査で引っかかり、皆に迷惑をかけた。筆箱の中に鋏を入れたまま筆箱を機内持ち込みにしていて、母にクリスマスに買ってもらったいくつかのうちの一つであるアンティーク風の鋏を空港の職員に没収されてしまった。まじでごめんお母さん)
ニュージーランドは私に初めてをたくさん体験させてくれた。
記憶の中のあの時お世話になった恩人さん達。
私の拙い英語に耳を傾けて真摯に向き合ってくれてありがとうございました。
あなた方のおかげでホームシックにもならず、良い経験として思い出せています。
本当にありがとうございました。
あれから何年も経ち、何度か国内旅行や海外旅行で飛行機に乗った。
いまだに飛行機に乗る時はワクワクした気持ちになる。
目的地への楽しみ、普段あまり乗らない飛行機という乗り物の純粋な面白さをいまだに感じる。
けど、何度か乗るうちにあの時ほどの興奮、未知との遭遇感は無くなってしまった。
私がもう、飛行機を移動手段だと知ってしまったからだと思う。
旅先でも、楽しいのにどこか寂しい様な、ひとりぼっちの様な大人の哀愁を知ってしまった。
留学は旅というには少し違うのかもしれないけれど、私にとって、あれ以上人と触れ合い、学びを得て、あんなに純粋で、最高に楽しく、充実した、いつまで経っても思い出す旅はないと思う。
あの時のあの瞬間に体験したという付加価値がとんでもない価値だったと今になって気がつく。
あの時、親はいい経験だから行っておいでと言ってくれたけれど、今値段を聞くとびっくりするくらい高かった。
行かせてくれた親の思いにも感謝だし、最高の思い出にできたあの頃の私にも感謝だ。
私はこの先おばあちゃんになっても高校生のあの夏の異国への旅を思い出すだろう。
私はあの時、私の小さな世界から一歩外に出て、世界の端に触れた気がした。
飛行機の窓の向こうには当たり前の様に外国へと繋がるほどの大空が広がっている。
飛行機の窓の枠内に小さく切り取られて見た空が全てではない。
今の人生が辛く小さく見えていても窓越しに見ているに過ぎないのではないのだろうか。
私にも広がっているはずだ。
飛行機の小さな窓の向こうに見た、あの大空の様に。
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