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私が欲しいのは、愛か死よ。


とある女。

歳を重ねた。あんなに誕生日を嫌がっていたが結局思いもがけないところ、いつもお世話になってる人、ちょっと気になってる人etc.たくさん連絡を頂いて、静かに1日過ごした。途中本屋にて所謂おじさんに声をかけられ自分が女であることに対して、また一人であることに対しての態度に嫌気がさしたが「まあ私全身黒ずくめでも可愛いからそりゃ一人だと思ったら調子乗りたくなるよね、しょうがないよね」と無理くり思うようにした。一番大事なことは握りしめて、価値観のアップデートはなるべく繰り返したい。誕生日に知らないおじさんのことで嫌になりたくない。

先日、私の尊敬するおじさんに会った。顔が良すぎてもはやおじさんとは絶対言えないんだけれど、きっとおじさん、と言える年齢である。年齢ではなく凝り固まった価値観の中生きてるかどうかの問題にしたら、まだおじさんとは言えないと思う。そんなおじさん…お兄さん…ま私にしてみたら芝居においての「お父さん」と、疫病期間やら今後の展開のことを話した。

感情では悲しいけれど頭ではわりとスッキリしたとある人間関係の話をしていたら、「池山さん、泣き喚ける女だったらよかったのにね」と言われた。

「お父さん」と解散したあと、たまたま見つけた服を買った。背中に映画レオンのマチルダが銃を自分の頭に突きつけているシーンが描かれているシャツ。それを見ながら「泣き喚ける女だったらよかったのにね」という言葉をじんわり思い出す。

私が舞台を目指したのは、ヒロインそのものになりたかったからだったのかもしれない。子供ながら、現実世界では魔法にかかることも王子様に出会うことも、泣き喚くことも高らかに笑うこともできないのかもしれないと感じていたのか。感じていたかはわからないけれど、私も野獣を愛したかったし、好きな男のために声を差し出したかったし黄泉の帝王に愛されたかったしギャンブラーと長年婚約した可愛いショーガールになりたかったしケーキから飛び出して映画界のスターとラブロマンスを繰り広げたかった。

そんなことそうそうない。そして今、現実で、社会の中で、人前で泣き叫ぶこともきっとこれと同じぐらいできない。私は私でヒロインになりたかった。なれなかった。知的好奇心や向上心を利用してくる下心ばかり目について、でもそれに対しても悲劇的になれずただ頭で処理していく自分がそこにいる。もしかしたらこれからでも感情的になるかも。周りも何も見えないぐらい死をじっと見つめられるかもしれない。そんな人に出会えるかも知れない。でもきっと現実世界でヒロインになったら、もう芝居はできないんだろと思う。芝居はそれだけの幼さと真逆のシビアさを兼ね揃えているとひしひし感じる。何もかも全振りしたらきっと本当に死ぬ。

いつか現実で好きな男、または女の前で自分に銃を向けることができるのだろうか。もしくは板の上なのか。私が欲しいのは愛か死。どちらなのか。そんなことを思う時点でまだまだ歳を重ねたって重ねただけで結局幼いなと思う。マチルダにはなれない。





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