ヴァイオレット・エヴァーガーデンというアニメを観て第十話〜解説・考察#7〜
神回として名前があがる10話とは一体なんなのか?
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの神回として多くの支持がある話だが、私個人としてはそういった印象は感じなかった。
つまりは神回とは思わなかった。
それは何故かというと、本当によくあるベタな話だったからだ。
死ぬ人が今回のように手紙だったり、ビデオだったり方法は様々だが、家族や身内にメッセージを残したりするのはよくある話なのです。
正直冒頭の最初の方で、母親はすでに体調が悪そうだったし、残された家と子供はどうするのか?といった会話をしていた為、
ヴァイオレットがこの家に来た時点で、母親が娘に対して自分の命日、もしくは娘の誕生日に手紙が届いていくようなストーリーなのかな?
と思いながら観ていました。
裏切ってくれるかな?とも思いましたが、話はそのまま進行していき娘の誕生日に手紙が50年に渡ってずっと届くというストーリーでした。
確かにベタな話だから分かりやすいテンプレート。
感動させやすいテンプレートです。
しかしながらこの話というかストーリーってよくあるベタベタな話で視聴者を感動させようと果たして思って作っていたのか??
と考えていました。
答えとして視聴者に向けてのストーリーではなかったのではないか?
と私個人としては答えを出しました。
10話の本当の狙いとは??
この話は、ヴァイオレットを感動させる為に必要だったストーリーだったのではないか?
と私は考えています。
ヴァイオレットは「愛してる」という言葉の意味を知りたいと思って仕事をしてきました。
このストーリーの中で初めて純粋な一つの「愛」の形というものに触れて初めてヴァイオレットが人間に「昇華」出来た話だと思っています。
どういう事か??
人の「愛」の形というのは複雑で、本当に分からないものです。
全員が言葉や行動に出すわけでもなく、裏腹だったりします。
アニメの中でもそうでした。
しかし、母親が子供に対する愛情というのは限りなく見返りを一切求めない純粋な「愛」である事が多いです。
これは人間に限った話ではなく、動物や昆虫の世界でもそうです。
母親は子供に対しては本当に純粋に愛情を注ぎます。
昆虫の世界では、餌がなかったら自分自身を食べさせたりします。
それほど子供に対して「愛情」があったりします。
今回の話もそれに近い話で、母親はアンに対してただただ元気に育って欲しいという願いと「愛」でした。
手紙の代筆を通してヴァイオレットは、初めての人の「愛」に触れたんだと思うんです。
これが一つの「愛してる」の形なんだと。
理解した上でヴァイオレットは最後のシーンで涙を流します。
何故自分が今泣いてるのか分かっている上で涙を流しているという印象のシーンだった。
今までのヴァイオレットは、何でいま自分がその感情になっているのか、分かっていないという感じでした。
だけどこのシーンに限っては、自分が何故どうして泣いているのかハッキリと分かるシーンであり、この時にヴァイオレットは戦闘兵器や機械と言われていた人物から「人間」になれた瞬間だったと私は思っています。
だからこその11話があって、私個人としては11話の方が圧倒的にいいと思っていますが、世間では10話の方が圧倒的なようです。
では何故11話が圧倒的にいいのか!
それは次回に長く語っていこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?