死生観:訪問看護リハビリステーション開設に向けて3



急性期病院で勤めると当然ながら人の生死に触れる時間が多くなる。所属する科によるが入院加療が必要なのだから何が起こっても不思議ではない。

1年目の準夜勤でのこと。勤務が切り替わる時間に緊急入院となった方がいた。日勤帯より引継ぎはしたが21時位まではバタバタ。
ようやく落ち着いてきた消灯前にバイタルを再検しに行くとその方は呼吸が止まってる。
先輩を大声で呼び緊急コール・CPRとなるが残念ながら数日後に亡くなられた。
実際に呼吸が止まっている状態に出くわしたのは初めてでとても怖かった。帰った後も妻(当時は彼女)に泣きながら手を握ってもらい励まされたのは今も覚えてる。(妻に話したらそうだっけ?と言われました・・・)

生物は死ぬ。いつ訪れるか誰もわからないが数時間前に話していた人もそうなる事がある。
急性期病院で亡くなられる方は状態が悪くなった際に電話で現状を伝える事が多く受容出来ていないご家族様はとても動揺しているケースが多い。なので嗚咽する姿を見て自分の至らなさを痛感させられた。
本当はそうならないように『看護』をしなければならないと『今』なら思える。当時は目の前の業務でいっぱいいっぱいで『忙しい』を理由にその人のまつわる人生まで考える事が出来ていなかった。きっと治療を目的とした管理しか意識してなかったのだと思う。

そんな意識が少し変わったのは外来で放射線治療部にいた時の事。90代のご婦人が1人でシルバーカーをゆーーーーーっくり押しながら自宅から治療を受けにきていた。(平日毎日午前中)
放射線治療の場所って機械が大きいからか廊下が長く目的地まで時間がかかる。当然病院まで来るまでも時間がかかるだろう。家族は送迎できないのかな?治療を受けるのにも大変そうだなぁと思い聞いてみると『家に看護師さんが来てリハビリ手伝ってくれるのよ。だからここまで来るのも頑張らないと』←こんな感じのニュアンスだったと記憶している。
訪問看護のイメージは自宅での呼吸器管理や酸素・吸引等の医療行為のみであったためそんな事もやっているんだと思った←今考えると本当に未熟な看護師ですね。

訪問看護師の導入目的は多岐にわたる事を知り訪問看護師に。
入職してから数か月後、癌末期の1人暮らしで他ステーションがこれ以上の訪問は無理!とNG出されてしまった方の訪問依頼があった。NG理由はとてもこだわりが強く気難しいとのこと
依頼される際にも断りたかったら断って良いと念を押された方だったが所長は受けて担当は私となった。
疼痛は腫瘍部でなく腹部にあった。本人曰く強く押すと楽になるから押してくれと言われ実施する。腹部大動脈瘤(結構大きかった)もあり押すと触れるような気がして少し怖かった。やっぱ楽になるよと少し表情が和らぐ。(きっと楽になる感覚がわかってくれなくてやってもらえなかったんだな)
次に言われたのは重しを買ってきてくれ。20kg位の。あのなんだっけ。丸いやつ。そう砲丸。そしたら自分でお腹マッサージ出来るから(いやいや。無理だろう・・・調べると砲丸投げの砲丸は約7kg)
主治医に確認したら電話越しにもわかる乾いた笑いがあり10kg位までなら良いよ笑 とのこと。肥料とボールで自作(10kgも無理なので3kg位だったと記憶)。持ってくともう大丈夫だからそれは必要なくなっちゃたよ。っと・・・
ただ何となく申し訳なさそうな表情に変わったのが印象に残ってる。極度の医者嫌いで二言目にはあいつらは何もやってくれない。なので病院に入院することを兎に角拒否していた。

時間が経過し痛みが強くなる。当然麻薬量は増えていく。それでも緊急コールが日に日に増えだす。訪問時はシーツの皺を伸ばして体制を整えさすってあげると表情は落ち着き入眠される。
オピオイド管理が必要と言うより1人でいることが辛かったのだと思う。
その人にとって必要なのはBeing「そこにある」「存在する」
特別なことをしてほしいんじゃない。話を聞いてほしい。一緒にいてほしい。わかってほしい。
皆が普遍的に抱いてる欲求だと思う。健康的に生活が出来ている人だって感じる欲求。一人で痛みが強かったらその欲求は強くなるにきまってる。

絶対に入院は嫌だと良い、このまま家に居るんだと強く強く言っていた迷いが出てくる。
『このままがいい』『入院した方がいいのか』二転三転する。

『最後はどうしたいですか?』ストレートに意思確認すると『よくわからなくなったけどこのままが良い』真っすぐ見つめられて話された。

数日後自宅で亡くなられた。

生物は死ぬ。
そのことから逃れるすべはないけどそれまでのプロセスは変える働きかけをすることが出来る。今回のようなターミナルの事だけでなく入院する必要はないけど健康管理が必要な人もいる。ターミナルだから支援するのでない。その人の大切にしている価値観を大切にしたいのだから支援させて頂きたいのだと思う。支援というのも少しニュアンス的に違和感を感じるが・・・私の死生観・看護感・人間観ではまだ適切な表現を持ち合わしていない。
いつか自信を持って表現できるようになれると良いな。
https://hongoyura-houkan.com

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