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ダブリンからこんにちは。4週目

私は海外にいるとき妙な解放感を感じる。短期間の旅行ですらそうだった。
例えば服はいつも適当。ジーンズとか長ズボンにトレーナーとかTシャツとか。今回は、帰りにスーツケースを軽くしたいので捨ててもいい服をなるべく持ってきた。靴もいつも同じスニーカー。
例えば、バスや電車で空いているときに荷物を隣に置いて足を組んでスペースをゆったり使うことに全く抵抗を感じない。人が来たらどかせばいい。私は日本でこれが苦手。空いていても、なぜかいつも人の迷惑にならないように座席で身を縮めてしまう。だからすぐに私の隣の席は埋まる。
例えば語学学校の教室で。授業に遅刻しても大きな声で挨拶して入ってきていいし、トイレに行きたければ勝手にいっていい。わからないと思ったらすぐに「わからない」といっていい。「もう一回言って」といっても怒られない。授業が始まる前にペンと教科書ノートを机の上に出さない人がいる(私の小学校では、机の上に筆箱と教科書とノートを置く場所まで決まっていた記憶がある…)。これは語学学校以外の教室ではどんな感じなんだろう?

私は小さい時からきちんとしているようにいることを求められすぎて育ってそれに適応していたと思う。だからそんなに日本のスタイルで困ることはないし、特に生きづらさも感じたことはない。でもここにいると、きちんとしていることを誰からも求められない。色々な人がいるから、「きちんとしている」だってそれぞれ違う基準があるだろう。だれからもみられていない感じが死ぬほど心地よい。日本で実際に見られているのかというよりも、日本での私は、自分の中に蓄積されてきた「他人の目線」があって、それが気になっていたのだと思う。

ダブリンに来て3週間すぎた時点で一番面白いことは、日本や日本人としての私や私が普段話している日本語を初めて客観的に見れたこと。

英語で喋ろうとするとき、日本語の文章が頭にあってそれを直訳しようとすると出てこない。
何かに誘われたとき、「それ私も参加していいのかな?」と言う必要はないらしい。日本では誘われたときに「私も参加していいの?」と念の為聞くことがたびたびあった。ダブリンについて次の日。初めて会ったフラットメイトに「明日帰っちゃう子がいるから今夜キッチンでパーティーするけどくる?」と言われて正直びびった。今夜帰っちゃう子が誰かも知らないし、「キッチンでパーティー」ってどんなことするんだろう?そして私が行っていいのか?てかしゃべれないよ?と(今なら語学学校のみんなの集まりはしゃべれなくても初対面でも基本的に誰でもwelcomeという文化がわかる)。そこで、「私が参加していいの?」ときいたら、「違う違う、私があなたに参加しないかときいているの」と言われた。「こんな初対面の私が参加していいの?」ともっと流暢に細かく英語で聞ければよかったのかもしれないけれど、「私が質問しているの」と質問が伝わらなかったのかと思われた。ちなみに参加したら、みんなでビールを飲みながらおしゃべりしてゲームをするというパーティーで、日本の大学生とだいたい同じだな〜と思った。ゲームのルールは隣に座っていた子がゆっくり丁寧に教えてくれた。

日本語はノーと言わないというか、クッションになるような表現が多いということも実感した。私はふだん友達との会話で、特にネガティブなことや相手へ反対意見をいうとき、つい語尾に「〜〜かも」とつけてしまう。多分無意識で断定することを避けている。でも英語で全部「may be」などと話すのはばかげている。英語ではノーならノーと言った方がいいし、思うことがあったらはっきり言っていい。当たり前だけど、それを「私の意見」として相手は受け取ってくれる。私の英語力では複雑なことはどっちにしろ喋れないわけだし、はっきり言わないと伝わらない。もちろん英語だって、婉曲的な伝え方もあると思うけれど、今の私はそんな高レベルなコミュニケーションはできない。言葉は文法や語彙だけじゃなくて、姿勢で作られてるんだと感じた。

あとは日本語だと語彙が多いから単語で喋ろうとしてしまうけど、英語は語彙が少ないから単純な言葉で説明をしようとしないと何も出てこない。日本語の文章を直訳するのではなく、言いたい出来事を単純なことに因数分解して自分が知っている単語で伝えるという方法に慣れるのにしばらくかかった。頭の中に新しい回路をむりやりつくっているようで、疲れるけど楽しい。

色々な国から来た友達と一緒にいると、それぞれほのかに国民性を感じるのも面白い。イタリア人二人と、ドイツ人一人とイギリス連邦北アイルランドのベルファストに行った。サンプル数が少なすぎるのであくまで私の印象としての話として受け取ってもらいたいけれど、イタリア人は人生を楽しむのがすごく上手な気がする。お土産屋さんで、イタリア人の女の子は、「私は行った国や街で必ずマグネットを買うことにしてる。今日これが12カ国目だから嬉しい!」と言っていた。男の子はかならずTシャツを買っていると言って、タイタニックミュージアムのTシャツを買っていた。これは私にはない発想で、自分なりのお土産の買い方みたいなものを持っているのって良いなと思った。ドイツ人の彼女は何も買っていなかった。ドイツ人の彼女が、リュックに2リットルの水のペットボトルをいれていたので、「ずいぶん大きいね!」と言ったら、「小さいボトルは高かった。新しい寮のまわりに高いスーパーしかない。安いスーパーは歩いて20分もかかるから今朝は行けなかった」と言っていた(ちなみにその安いスーパーはドイツのチェーンのスーパーLidlで私もそこが1番安いから好き。この気持ちは、日本のオーケーストアへの気持ちにかなり近い)。彼女の職業は弁護士なので、お金はあるのではと思うけれど、「無駄なものに使いたくない」というスタンスなのかなと思った。ドイツに住んでいる友達からも、「ドイツ人は外食とかそういうものにお金を使いたがらない」と聞いていたので、なるほど本当かもと思った。

日本人は礼儀正しいとか、世間を気にするとか、典型的イメージがあるのは知っていたし、でもそれも人によって違うからグラデーションだともちろん思っていたけれど、集団の傾向としては本当にあるのだと感じる。仲良くなったイタリア人の一人は日本人はフォーマルだよねと言っていた。君以外のみたいな文脈だったので、距離感があるみたいなニュアンスで言っていたのかなと思った。確かに短期できている大学生など、日本人でかたまっている子もたまに見かける。でも自分も大学くらいできていたら、自意識を捨てて間違えながらもとにかく喋るというのは難しくて、そうなっていたかもしれないと思う。

着いて最初の週は、4時間くらいずっと誰かと一緒にいるとものすごく疲れた。英語で話すことも、言葉に不安を持ちながら全く違う文化や歴史の人とずっと一緒にいることも緊張していた。でも今は慣れた。丸一日一緒に遊びに行っても平気だし、会う前に身構えることもなくなった。
まだまだ全然喋れないし、このままでどのくらい喋れるようになるのか不安だし、何もしていないような気持ちになるときも本当にたくさんあるけれど、少しずつ少しずつこの場所に馴染んでできることが増えているのだと思う。まっさらな状態でダブリンにきて、だんだんできることが増えて、友達が増えて、約束や予定ができて、やることや習慣やお気に入りの場所ができていくのは、RPGゲームみたい(似せているのは人生ではなくて、RPGゲームのほうだと思うけれど笑)。

最初の週に仲良くなったハンガリー出身イタリア在住の友人が言っていた、「留学は気分の上がり下がりがあるけど、それは当たり前だから!」という言葉が支えになっている。彼女は本当にパワフルで、50歳と歳は離れていたけれどすごく気があった。彼女と最初に話したとき、言葉が完全に通じなくても、気が合うというのはわかるのかという体験をした。英語だと敬語もないし、立場など気を遣う語学力もないし、しかも遠い国から来たアジア人で自分が異邦人だと感じるので、誰に対してもフラットに話せる。

今週は、週末ドイツから日本人の親友が遊びに来るので、日本語で喋るのが楽しみ。深い話ができるのも嬉しいし、相手が自分のことを昔から知っているのも嬉しい。水曜には大学卒業以来会っていない後輩が、最近ドイツで働きはじめて休暇でダブリンにいくと連絡を急にくれて、会う。フッ軽なところが好き。もしダブリン周辺に来られるリアルの知り合いの方がいたらぜひご連絡ください!


(トップの写真は教会だった建物の中にできたパブ)

ベルファストのタイタニックミュージアム

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