グレーゾーンの話。

いま、わたしが思い描いているグレーゾーンとは
他意なく、そのまま、

「曖昧なこと」を意味する

いつからか、
はっきりとはわからないけれど
白黒つけないと気がすまないわたしが
グレーゾーンを受け入れられるようになっていた


衝撃的な出来事があったわけでもない

気づけば、ふと
あ、このままにしておいていいんだ、
と思ったことだけは覚えている


本当に、白黒はっきりさせたい人間だった

いや、どちらかと言えば、
いまでもそうなのだと思う

またの名を
待てない人間、とでも言おうか


投げかけた問い
受けとった出来事
誰かへの想い


自分の行く末がはっきりしていないことに対する
根拠のない不安のようなものが
いつもどこか、心の奥底に隠れていた

グレーゾーンを認めることは
ずるいことだと思っていた

物事を曖昧なままにし、置いておく
誠実さに欠いた行為だと

若くしてグレーゾーンとの付き合い方に長けた友人を羨んでは
時に、激しく嫉妬したりした

グレーゾーンを受け入れることは
諦めることと同義なのではないか、 
そう考えた時期も短くはなかったと思う

周りの友人たちをも巻き込んだ
わたしのグレーゾーン論争は

結局、はっきりした答えがでなかった



歳を重ね、忙しくなり、
答えの出ないことを延々と考える時間は
ほぼ皆無となっている


生まれて30年が経とうとしている
今でも、よくわかっていない


この、よくわからないことを
よくわからないまま受けいれること

どれだけの時間を過ごしてもわかりあえない他人と
わかりあえないままこれからも共に生きてゆくこと



こちらが
現段階でのわたしの
グレーゾーンに対するひとつの見解である

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?