【こぼレビュー】HYPER DEMON

作った:sorath
遊んだ:Steam(マウス+キーボー)

 FPSにとって敵AIとは大きな棚上げされつづけている課題である。

 Quake(1998以前くらい)なんかの頃のFPSは動画で見てもわかる通り単に自機に向かってくる敵だった。これは以前話したことがあるけど特に敵にきっちりとした「思考」を感じたのがNo one lives forever(2000年くらい)というゲームで、敵は状況に応じてそれなりの動きをし、打ち合いになるとカバーアクションをして壁から顔を出して撃ってくる。これは本当に今でも優れたAIだと思う。
 だが、優れたAIがいいわけではないという証明にもなってしまった。まともな思考をする敵というのは要するにテンポロスを引き起こすのだ。何故なら、FPSとはそもそもが射的ゲームの延長であり、「当てる為の敵」を配置するゲームデザインとなる。となると、生き残ろうとする当てづらい敵というのは単なるストレスなのだ。

 というわけで、まともな思考による自立AI型のシングルプレイFPSは頓挫する。
 この敗北()をどうすればよいのか。その答えの一つがCoDで、つまり移動式的当てだった。ディズニーランドとかにあると思う、トロッコに乗り、その進捗で敵が出てくるタイプだ。この場合、敵は賢過ぎなくてもいいし、そもそも思考すら要らない。全てはスクリプト(この場合は脚本という意味合い)の思し召しとなる。映画プライベートライアンがいいタイミングの作品でこの影響が強い時期なのもうまくいった。そうかつまり映画の登場人物への没入でいいんだと気付いてからは、バンドオブブラザーズ、シンレッドライン、インデペンデンス・デイ…いろんな映画に似ているゲームが出てきた。ただし、これは満点の解答ではない。レールに乗せられたトロッコであることは変わらず、また、この出し物は「クリアしてもらってなんぼ」なのだ。難易度が単なる弊害になるので、どうやっても最終的にデジタルノベルゲームと小説の関係性に近くなる。
 そしてもうひとつの答えはシリアス・サムだ。敵の一匹一匹の動きは単純でもとても処理できない数を出してはどうだろうという試みで、これは本当に面白かった。バカゲーみたいな扱いのほうが大きく、更に2以降は作る方もその望まれた方向性での1の焼き直しをし続けて既に擦り切れたフィルムになっているが…それでも1は未だに衝撃だ。
 なんといっても敵の種類が多いのがいい。シリアスサム初代の時点で敵のコーデックス(なんか今じゃよくあるけど3Dモデルとちょっとした紹介が表示されるようなやつ)が出会う度に増えていく仕様があった。つまりそれだけ敵のレパートリーを出しますよということだ。しかも、敵のアイデアは多岐にわたった。有名なのはKAMIKAZEという走ってきて自爆する頭部が爆弾になっているキャラクターだろう。これはこのテクストの後でも出てくるが、このキャラは叫びながら近づいてくるので、後ろを向いててもわかるようになっている。他にも、ハーピーは空を飛んでいるので3Dである意味が大きくあった。空にハーピーの大群、後ろに大量のカエル、遠くにカミカゼ…さあ先にどっちを倒せばいい!?これこそシリアスサムだった。真のゲームだった。つまりは、AIなんて放棄してありえない動きの生態系を作ることでプレイヤーに選択させるのだ。

 長くなったが、この後者の素晴らしいが継ぎ手のいないゲームらしいゲームデザインを継承するのがDevil DaggersとHYPER DEMONだ。
 ただ、レベル形式ではなくスコアアタック形式となっている。それが個人製作に近い規模だからか好みなのかはわからないが、ミニマルな舞台は成功しているといっていいだろう。一見他人のプレイを見るとハードコアなゲームに見えるが実際はかなり優しく作られている。というのも、いきなりすべてが出来る必要がない。どちらのゲームも何段階かわかりやすい壁が作られていて、そこを突破するためにはなるべくそのタイミングまでに多くの敵を倒し安全を守る、以外にない。
 本作はあらかじめ敵の出現パターンが決められた完全なスクリプトではあるが、ある程度の範囲のランダムになっている。具体的には中心から半径何m以内に敵が出ると決まっている感じだ。ステージ自体も真円で常に外周が暗いので直観的に自分の場所を感じやすいし、いずれ敵がどこに居るかを常に(未来の事象ですら)把握することにも慣れることだろう。
 敵は多岐には渡らない。シンプルな構成で、それでいて最高の威力を持つようになっている。特に本作ではその生態は更に作りこまれている。
 全くこれを説明せずには続けられないので、一つ例に挙げてみよう。
 例えばSpiderと呼ばれる脚立みたいな髑髏は、自発的には移動も攻撃もしない。しないのだが…。
・自機が真下に来ると踏みつぶそうとしてしゃがむ
・しゃがんだ状態では常にプレイヤー側に宝石(弱点)が向くようになっている
・自分の壊された弱点から発するものも含め宝石を飲み込む
・3つの宝石を飲み込むと爆弾を出す(通称宝石を食べて緑の爆弾うんちにする最悪のリブリー)
・遠くからチクチク撃ったりして弱点の宝石をちゃんと当てていないと地面に潜って逃げる
 ざっとこれだけの生態を持っている。そして、更にこのゲームでは敵を倒すと出てくる宝石はプレイヤーのパワーアップの役割を果たすので、攻撃をしてこないにも関わらず他の敵より優先度の高い殲滅対象となっている。
 こやつはアシュラマン的に四面に弱点の宝石があるので本来なら回り込んで撃たなくてはいけないが、あえて相手の足元に近寄ったり、スライディングで通り抜けることで自分から弱点を晒し早く倒せるようになる。遠くからではいつまでたっても倒せないのでぜひ接近したいと思わせることだろう。
 また宝石に関しては一度に3つ分の宝石を出す別の敵が居たりするので、なるべくなら爆弾に変換される前に倒したい…。
 こういう風に、なんとなく理詰めでどう動くのが正解かはわかるようになっている。
 そして各キャラクター(ここにはプレイヤー自身も含まれる)の生態同士が密接な連携をし、地獄の生態系を作り上げているのだ。

 とはいえ、先に述べたように本作は敵が出る順番は決められておりランダム性がないという意味ではスクリプト式なのでパズルのような解法が可能だ。AかBを倒したあとCが出るとして、Aを倒してBCを残したほうが楽だとかそういうことを試行錯誤することで、幾らかの壁は簡単に突破できる。スクリプトの読み解きによって壁から壁まではスルスルとタイムが伸びることだろう。
 そして限界もある…。
 本ゲームは根本的に「今回はとてもうまくやった」程度じゃ処理できない物量を生む壁を幾つか設けている。さあここからはアドリブの時間だ。つまり本当の生態系の理解度チェックとなる。本ゲームを表すのに一番大事な部分だが、たとえスクリプトを用いてでも「物量によって強制的にアドリブをさせる時間になる」これがまぁ面白いんだな。
 多くのハードコアゲームというのは得てしてある程度の段階で完全なパズルになりがちだ。だからこそRTAという文化にもなる。エイリアンソルジャー、最強羽生将棋…。優れた作品ほどそうなってしまう。何故なら、ゲームデザインをする上でクリア出来ない難度を作るというのは、何もせずにクリアさせることと同じくらい簡単だからだ。シングルゲームというのは設計をすればするほど、クリアできる道筋を作る必要があり、つまりはパターン化されてしまう。それは、結局はトロッコ化するということでもある。
 だが、それをギリギリまで拒みきったところにこのゲームがある。これは素晴らしいことだ。絶対にプレイヤーはアドリブを迫られる。アドリブで判断するということはとてつもないストレスだ。特に、そのミスがゲームオーバーに直結するとあっては。
 だがこのゲームは長くても1ゲーム3分程度だ。何度でも即座にチャレンジできるし、ゲームはそれを拒まない。ストーリーもステージもラウンドもないゲームだが、これまでできなかったことを切り抜けて先に進んだ時、必ず新しい景色が見える…。
 そこには、映像をただ飽きさせずに見せるためだけにプレイヤーにおまけ程度の入力をさせたり、最後まで見せる為に何度か挑戦すれば気づけるようになっている解法の存在も、何もない。あるのはプレイヤーの選択だ。だからこのゲームは特段極まったエイム力を必要としていない。エイムの必要なビームは貯めながらきちんとスローがかかる。そういったフィジカルの超人である必要はなくても楽しめるように作られてある。
 また音が重要になっていて、敵が近くにいればその息吹が感じられるあたりはシリアスサムの直系のフォロワーであることを隠していないとも言っていいのではないか。他にも敵が生まれる音、潰れる音、見づらい画面をフォローするかのように音が雄弁に語るおかげで、本当にその空間を把握できる瞬間がある。環境すべては公平にプレイヤーを扱い、プレイヤーの知識とテクニックと判断力が必ず結果に表れる。

 HYPER DEMONはゲーム純粋令を守った、本物のゲームである。

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