[こぼレビュー] NOPE

撮った人:ジョーダン・ピール
見た:IMAX

 内面化、という便利な言葉がある。
理解したも内面化でいいし、体得したも内面化でいい。見たも内面化だしぶっちゃけようわからんでも内面化するっていう動詞でも使えるのでほぼ最強の言葉だ。

 本作は怪獣映画をアメリカ人の身で内面化したものである。
 思うにジョーダンピールは、あんまりアメリカが好きではないと思っている。一作目ゲットアウト以降なら結構好きにキャスティング出来るパワーはあると思うんだが、今回もあんまり馴染みのない人が出てくる。特にハリウッド映画のキャスティング時点で本文の文脈の一部を語るのは恥ずかしいと思っているので、そういう身からするとありがたいのではあるけれど…。
 そう、本作は果ての果てといえどハリウッドらへんを舞台にしており、また、動画を取ることを趣旨としている以上はジョーダンピールの内面に近い作品となっている。その目的は謎の巨大生物の撮影であり、アメリカを舞台に暴れる巨大生物という”現実”をカメラに収めたい、というものである。
 ポイントはこの「アメリカを舞台に」という部分だ。実はアメリカには土着の怪獣がいない。怪獣後進国家といえよう。
 ここに現代的な怪獣を降ろすことは並大抵とはいかないわけだ。何故なら、ゴジラは皆さまご存じのように水素爆弾の精霊であり、日本人観としての戦禍の象徴だ。アメリカはなんとこれまで撃ってばかりで一発も食らってない。こんな国許せるか?
 例えばこの部分への表明として、チェンソーマンなんかでは銃の悪魔がアメリカから現れて、一方的に日本人を射殺した。これは集英社による米国への非難声明と受け止めて差支えないだろう。全社をあげて、アメリカ人の存在自体の犯罪可能性について論じている。これはもっと大きく受け止めていいと思うけど世の中はなんとなく進んでいる。閑話休題。

 話を戻すと、アメリカで戦争といえば南北戦争である。つまりはカウボーイでありレッドリバーだ。なので、本作にはカウボーイのテーマパークがやや無理矢理でてくる。テーマパーク化されたカウボーイというのは当然現代性ということだ。さらにそれを白人ではなくアジア系が運営していたり、この辺の気配りの匙加減はさしたるもの。
 ちなみに南北戦争といえば奴隷だけど、この映画には奴隷は出てこない。というか、2010年以降で日本で配給される映画にモロ奴隷やん!って出てこなかったかもな。アマプラのアメリカンゴッズでさえ、微妙にボカした奴隷観だった気がする。とはいえ、日本も天皇が戦争の責任者として出てくる創作は少ないのでこのへんはあんまり突いてあげないほうがいいのだろう。
 ただし、本作ははっきりと搾取または使役の関係性が提示されている。まずハリウッドからもテーマパークからも使役される黒人の馬追いがいて、そいつが更に白人の電気屋店員を使役している。うまいよね~。

 そういうわけで(どういうわけだか)そのアメリカの歴史たちを踏まえた怪獣が出てくるのだが…これが素晴らしい!
 要するに映画のほうのエヴァンゲリオンに出てくるラミエルそのものなんだが、それを完全に「アメリカが生んだもの」にしている。現代のアップテンポな絶え間ない引用の連続と複数の文脈が交差する中に一点の、一点だけは真実がある。
 はっきりいってこの作品はお世辞にもうまい作品とは言えないと思う。とってつけたようなホラー部分は面白いが無意味な転調だし、怪獣と相対するまでの部分が長すぎる。しかし、アメリ化…いや、こういった既存の作品で語られたー今回なら怪獣モノというテンプレートーものを自作で本当にやる意味を作る内面化というのは大変に難しい作業で、ジョーダンピールはここだけは引用ではなく自分の言葉で手にしている。本当の怪獣をアメリカに作りだした。その部分だけで十分意味がある映画だ。
 劇中、何故撮影しなければいけないかに言及するシーンがある。
 怪獣が人間を圧倒する力を持った存在で、しかも相手は敵意をもって襲い掛かってくるとわかってるのに撮影を決断する主人公に電気屋の白人がこういう。
「これって、お金とか名声の為じゃなく…例えば、誰かの…為になるんだよな?」
 このセリフが本当に最高だった。ここで狂言回しに近い役割に主題を言わせるのは相当クラシックなんだが、変化球ばかりの中にこういう直球のクラシックを一発入れるのがジョーダンピールのいいところといえよう。

 そう、誰かの為になるのか、これは撮る人間…もしくは創作する人間の最低限の矜持である。恐らくジョーダン・ピールはアメリカもハリウッドも嫌いで、全員死ねと思って撮っている。つまりこれはハリウッドに向けた暴力でもある。
 そしてこの映画の対になる作品が奇しくも今年出ている。それが「劇光仮面」で、同様に怪獣を何故作らねばならないのかに言及している。
 自分の為でも誰かの為でもいい、「作る」という暴力をするからにはお金や名声の為以外の何かが一つくらいはあってほしいものです。

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