【こぼレビュー】魔王物語物語

作った人:Tetsu
遊んだ:Windows

 魔王物語物語は、2000年代までのJRPGの総決算であり、インディーRPGシーンの総括でもある作品だ。 
 これをプレイせずに2010年にたどり着くことは出来ない…。が、なんとJRPGシーンはそこから一ミリも前に進んでいないため、実質いつでも追いつくことができるともいえる。2022年一番売れたゲームになるであろうエルデンリングさえもまももの語り直しの範疇と言える。

 

ゲーム性について


ゲーム性は、「今でいう」ダークソウルを思い浮かべてほしい。
初見殺しや、ちょっとした気のゆるみでの敗北があり、体力の回復はお金リソースを使わない詰め替え可能な瓶があり、あまりにプレイヤーに都合がいいショートカットがある。ちょっとの発想で楽に戦えたり稼げたりする場所や、どうしてもクリアできない場合には少し鍛えて簡単にクリアできるようにもできる。
 敵との闘い方は本作者による「タイムアタックRPG」のシステムに近いもので、いわゆるシンボルエンカウントに近いがシンボルを数秒「引きずる」。つまり、戦闘開始までにディレイがある。その間にエンカウントした敵はすべて同時に戦うことになる。攻撃にはすべて範囲が設定されており、重ねてあてることで同時に攻撃できる。同時に近くに敵を重ねることで大量に倒したり、真逆に敵に張り付かれて辛い目にあったりもする。かなり手元の操作=アクション要素が高いシステムだ。本作ではこれがマップや敵配置…つまりレベルデザインの根底をなしており、自分の強さに見合っていない場所でも一匹ずつうまく処理すれば回復に利用できたり、逆に大量に倒すボーナスもあるのでうまく倒せる限界数を狙ってみたりとリスクとリターンの両面を持つ。
 ビルドについては「なんでも装備」がポイントで、本ゲームはレベルによるビルドアップ効果はかなり少ない。防御力や攻撃力はたいてい最後まで素の状態では一桁で、ほとんどが装備によって決まる。装備個所は5か所あり、そのうち3か所は「なんでも」としてすべてのアイテムが対象になる。ゲーム中発見されるイベントアイテムを含むすべては装備可能であり、ものによってはユニークな効果(例えばスキルが使えるようになる等)がある。
 このシステムは、本作の今でいうイマーシヴゲームに近い感覚をもたらしており、ビルドの工夫(静的な工夫)や当たり方の工夫(動的な工夫)で簡単に先に進めたり稼げたりができるようになっている。

 

構成


 本作のシナリオは大まかに三部構成となっており、これは魔王物語が三章構成であることとも対応している。先のとおりゲームとしてはイマーシブを許容しながらも作中の物語の開示の仕方はうまく制御されていて、どうプレイしても大体同じ体験に収束するようになっているはずだ。
 ストーリーの進行とゲーム上の進行ールールの変遷や難度の増加などの曲線ーはうまく噛み合っており、プレイヤーには何度か挑戦をもたらすようになっている。
 ここでストーリーとなるが、これはRPGとは何かがテーマといえよう。
 主人公ヒマリの冒険は、ネズミや亀などと戦う序盤から徐々に抽象的な存在へシフトしていく。雪女、吐く竜、ゲイゼルガイゼル…すべては空想の中に存在する。
 テーマ的には先行作であるイストワールへのリスペクトが強く、この文脈を捉えているとより楽しめる。

 イストワールへの寄り道。


 イストワールについては語れるほどプレイはしていないが、つまりこちらもRPGとは何かに触れている。半分は物語についてで、半分はRPGについてというところだろうか。ネバーエンディングストーリー等を下敷きにしているが、ネバーエンディングストーリーはあくまで本や書くことについてのストーリーであり、イストワールはここから何歩も踏み込んで「RPGでないと語れない世界」の指向が強い。そしてこれこそが、おもしろい。ゲームをプレイしていて赦される瞬間ともいえよう。イストワールにはRPGが独立した芸術のメディウムであると言える確固たる土台がある。ただ単に語りだけではなく、なぜ世界はアセットによって作られているのかなど少し踏み込んだ示唆がゲーム内にあふれていて素晴らしい。
 魔王物語物語ではリスペクトはテーマだけにとどまらず、地底に飛び込む場面の天丼など直截な引用までされており、相当な影響はうかがえることだろう。ちなみに禁術と呼ばれる術→ネフェシエル→イストワール→魔王物語物語という流れで完成します。閑話休題。

 JRPGとは


 魔王物語物語は、このイストワールと同じくRPGでないと語れない領域に踏み込んでいる。アセットの抽象性が現実と空想の境界を曖昧にし、プレイヤーが操作するのは実体なのかはたまた空想の存在なのかは作中気づかぬうちに曖昧になる。また、攻略の自由度は語る順序の差し替えを担保し、他媒体では実装の難しいゲームならではの語りを作り出している。
 この「現実と空想との境界が曖昧になる部分にあるゲーム」というのがRPGの本質であるという喝破が態度だけでないのが素晴らしい。
 JRPGにはフレーバーの文字列と実際の性能や存在が絶対に合わないものがある。たとえば初期FFシリーズには「テント」果てはそのアップグレード版の「コテージ」というアイテムが存在するが、これを99個まで買えるわけである。実際に丸太で作られているであろう木造コテージを99個持って旅している4人ばかりの人間がいたらそれはもう英雄ではなくただの変態であろう。かように、JRPGの歴史とはフレーバー先行の世界であり、元々が空想的であった。
 それを割り切って実装するのではなく、本作では自覚的にこういったフレーバーでしかあり得ない存在を実装している。あり得ないのに実装という言葉はおかしいのだが、それが許されるのがRPGということだ。
 「なんでも装備」は顕著たる部分だろう。たとえば「文学少女」というアイテムは名前だけでは抽象すぎて何も想像が及ばないが、この装備では物理攻撃に関する必殺の値が減るように設定されており、また魔法にあたるスキルダメージに技術の値が増えるように設定されている。抽象的なものほど、技術が上がるのだ。そして翻ってはこの文学少女というフレーバーも非常に「伝わる」ようになっている。
 RPGも表現である以上、媒体の制約からは逃れられない。しかし、本作でプレイヤーが操作するゲーム内のキャラクターたちはRPGであるがゆえに物語の主役となり、各々の現実を打倒する力を手に入れている。これがなんと素晴らしいことだろうか!

 まとめ
この水準の作品が、世界で無冠!?
世の中の人間の不動機にはあきれ返るね。

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