[こぼレビュー]ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

撮った人:クエンティン・タランティーノ
見た:Netflix

 作家性、というものがある。

 なんだったか、村上春樹を語っている本で「彼はコントロールして真面目なものと気の抜けたものを交互に書いている」というようなものがあった(20年くらい前の記憶なので媒体すら思い出せないが)。

 作家業というのは結構むずかしい。やってみればわかるが、行き過ぎても人はついてこず、かといって色々手を出すのは時間の無駄、そういう感じになっている。もちろんたまに行き過ぎたところがハマることもあるが、やはり平衡感覚のようなものは必要に思う。

 クエンティン・タランティーノもまた、この点について自覚的だと思う。
あるレヴェル以上の作家となると「問題意識」がはっきりしてくる。当然、クエンティン・タランティーノはこれまで問題意識を色々と持ち実践してきた。批評的活動といってもいいだろう。

 最初はフィルムへのオタク的偏愛(ってよく彼を紹介するときに言われるけど、どんな小さな作家から大物まで持ってるよ。あえて言っておくと、そのオタク性をオブラートに包まずに出したのが彼の年代では珍しかっただけのことです)から、ノワールモノ・B級作品を一歩進めた作品を作って、ほんでまぁ大きな転換といえばやはりイングロリアス・バスターズで、これでB級から進めたものを更に一歩進めた。ジャンルを二歩進める人間はなかなかいないので、これは傑物といっていい。大層な作家です。

 その上で、ちょっと行き過ぎたのも確かだった。
本作はイングロリアス・バスターズ以降の自分の路線を少しシニカルな目線で扱っており…っていうか、まぁ、俺はアメリカ人じゃないから知らんが恐らく誰かに言われたんだろうな。
 「現実を茶化すのはずるいだろw飛び道具使いやがって」的なことを。イングロリアス・バスターズの否の意見からそういうのは見ていて、まぁ確かに言われてもしょうがないかなと思う。創作とはいえ、それなりの作家がやる歴史への言及としてはどうにも事がでかかったわけだ。

 なので本作では現実をいじるけど、かなり個人的な偏愛の範囲(それがあ在りし日のハリウッド)へ落ち着かせたのだ。誰も怒らない程度に。
 目配せの要素は本作でもたくさんあるが、特にラストに火炎放射器を持ち出すのはまさに「イングロリアス・バスターズでは俺の作品をペラペラ批判しやがって燃やしたろか」っていう意味合いもあるだろう。

 作品の話をすると、本作はちょっと手の込んだグランドホテル方式(アンサンブル・キャスト)の映画であり、ありがちバディモノに見せてちょっとずらしているところが小憎らしい。
 なんだかあえてちょっとダサいカット割りを使ったり、音楽との「合わせ」がすごくハマっていたり、やはり超絶技巧のレベルの編集で映画してくる。おもしろいね。

 その一方でちょっと老いたなと思うところもあって、女の趣味に対する異常なこだわりが少し減って今作では「まぁこんなもんかな」くらいの女性描写が多い。最後はデス・プルーフ以来の女性への気持ちを爆発させたシーンはあるけど(そこは拍手喝采ですけど~)、根本的に人への興味が薄れてる危惧も少しある。ただ、今回は長回しの語りもないのでもしかしたら単純にそういうのを試してみてるだけかもしれないが。

 というわけで、こぼレビュー的には珍しい形式のレビューですが、たまには作家性を語ってみました。いいね高評価とチャンネル登録お願いいたします。

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