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ラフカディオ・ハーンが喋った日本語

 ラフカディオ・ハーンは英語圏で記者として活動したのち40代で来日し、以後54歳で死ぬまでの14年間を日本で暮らした。小泉八雲という日本名で知られるが、著作は全て英語による。ハーンは日本語の読み書きが得意ではなかったが、妻セツとはカタカナで独特な文法の手紙をやり取りしていた。また、セツはハーンの没後に「思い出の記」の中で夫との会話を再現しており、この夫婦が不思議な日本語でコミュニケーションをとっていたことがわかる。  筆者はハーンが普段どんな言葉を喋っていたのか、というところ

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