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Kazの大冒険 「カナダに行っちゃえ」

もう30年近く前のことですが、記憶の糸をたどりながら当時の大冒険の始まりについてお話ししようと思います。

まだ日本にいた頃、縁あってカナダ人の友人、サブリナと知り合い、サブリナの紹介でお隣のカナダ人夫婦の子供のお世話をすることになったのがカナダに来るきっかけです。日本とカナダを行ったり来たりしてビジネスをしていたサブリナが、ある日突然カナダから電話をかけてきました。

サブリナ「Kaz、ゲンキデスカ? My neighbour had a baby and they are looking for a nanny.  Would you like to come to Canada to look after the baby?」
Kaz「えっ??」

その後、カナダ人夫婦とも電話で話し、あっという間に話がまとまり、1997年、パートナーと私は仕事を辞め、カナダに行くこととなりました。アラサーで仕事も成熟してきたころで、家族や周りに「仕事辞めるの?」「本気?」と驚かれ、カナダのことは何も知らなかったけど、先のことはどうとでもなる、と怖いもの見たさで飛び込んだのです。

ビザはどうしたかと言うと、英語力0のパートナーがフルタイムの学生ビザを取得後、カナダに着いてから私のOpen Work Permitを子供の両親が申請してくれました。当時は私のビザがOpen Work Permitということすら知りませんでした。

住むところは、最初の1か月をサブリナが経営するB&Bに泊まり、その間に近くのアパートを探しました。当時、アパートは1ベッドルームで$900くらい、2ベッドルームが$1200ドルくらいでした。アパートに住んで3か月たった頃、子供の家のベースメントが空き、家賃$600で借りることとなりました。

ベビーシッターは月に$900いただいていたけれど、物価が安かった当時でも生活費やパートナーの学費などの支出の方が断然多かったですね。毎年ビザの更新をする中で貯金が底を尽きてきたころ、「移民」の存在を知りました。カナダの生活にも慣れ、カナダの水が自分たちに合っていることを確信した私達は移民の選択をし、コンサルタントに申請代理をお願いしました。

パートナーの日本での職歴でPRに必要なポイントが得られるということで、パートナーが主体となってPR申請を行いました。最後の面接は、カナダ国外から出ないといけないということで、当時流行っていたロサンゼルスに行って面接をしたのですが、これが厳しい審査官で、パートナーはしどろもどろ。絶対落ちたと諦めていたら合格通知が来ました。

そして、1998年、7か月のヘレンちゃんと今は亡き飼い犬のフィービィとの生活が始まったのでした。

つづく