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公演の記録「Be Myself(自分らしく)」2022.2.26 しずぎんホール・ユーフォニア

久しぶりの本格的な舞台が無事に終了しました。関係者や応援いただいた皆さまに感謝致します。本当にありがとうございました。

●公演パンフレット(出演者紹介)
https://note.com/yupa_sasaki/n/nc7be7546eb4f

今回の舞台は役者の奥野晃士さんがブッキングして下さいました。2017年に掛川茶エンナーレで共演して以来(その時、息子裕一はパニック症で入院中に出演しました)、奥野さんは私がFacebookに投稿する裕一の姿を見守り、今回の舞台の原作である大前光市自叙伝の中の大前さんとお父さんの関係に私たち父子の姿を重ね合わせて企画したそうです。そしてコロナ対策で客席を半数に制限するために昼夜2公演になりました。

第2部の伝記物語朗読とピアノは、茶エンナーレ同様に私が影からキューを出し、裕一は演奏に専念することで成り立つ前提でした。その前に「僕らしく、奏でる~佐々木裕一の世界~」を第1部として設定してくださった奥野さんの温かいご配慮にまず感謝しました。

そして奥野さんから「演奏の前にお父さんから裕一君を紹介して下さい」と提案されて考えた末、私は裕一のために書き父子で演じている詩を朗読することにしました。裕一を演奏に集中させ、聴衆と裕一をつなぐためにそれが最適と考えました。裕一の支援者としての自分の役割を明確にすることで、私は第1部も第2部も緊張や雑念なく、持てる力を最大限に発揮できました。役割を与えられたことに感謝します。
https://note.com/yupa_sasaki/n/nfc5dd5ca3124

本番に向けて準備を進める中、まず裕一の即興ソロ演奏が形になり、それを先導する私の朗読に裕一が伴奏をつけました。第2部で奥野さんが朗読する台本が届くのは本番直前のため、原作を私なりに要約して代読しながら、裕一の演奏を2か月かけて作ってきました。1部は裕一が主役ですが2部は奥野さんが主役のため、裕一の伴奏は物語全体の世界観を表現した、ある程度定型のフレーズ中心でよいと考えました。裕一が奏でるフレーズはまさにそうで、どのシーンも私は物語をイメージできました。情景描写よりもその方が深みが出ることがあります。どちらがよいと言うことではなく手法は多様です。私の代読でよい感じに下ごしらえできました。あとは本番当日、奥野さんや大前さんとの化学反応を楽しみに。本番直前に奥野さんから台本が届くと、音楽の出入りを私が裕一に合図するハンドサインを決めて準備しました。

そして本番前日、オンラインのビデオチャットで初めて奥野さん、裕一、私の3人で打ち合わせをしました(それまでは奥野さんと私のメールやりとりのみでした)。まだパニック・トラウマの治療療養中の裕一は、久しぶりに遠出することを怖がり、夕食時に震えだしました。私はいつも通り裕一をなだめました。そして、当日起こりうるすべてのことを引き受ける覚悟を決めました。

当日、高速を飛ばして無事に会場入りし、午前のリハーサルが始まりました。事前リハはなく当日朝の1度きりです。第1部、裕一が安心してただ演奏に集中できるように、私はすべての段取りを確認し憶えました。そして第2部、奥野さんの朗読だけでなく、大前さんも途中からダンスで参加することになっていました。準備した通りに裕一が伴奏を弾くと、奥野さんや大前さんからどんどんアドバイスが入ります。「それでも充分いいんだけど、できればここはもっとこんな感じで」と。本格的な舞台で、裕一の即興演奏の力を引き出し、パフォーマンスをより高めるための先輩方の温かいアドバイス。でも裕一は困惑しました。知的障がいの上に、パニックやトラウマも治療・療養中。しかもダンスとのコラボは初めて。裕一は一杯いっぱいになっていました。開場時間直前にリハが終わり、楽屋で困惑する裕一に私は「裕一は裕一らしく弾けばいい。何があっても奥野さん、大前さん、パパの3人がなんとかするから大丈夫」と励ましました。

その30分の間に弁当をかき込んで昼公演の本番開始。裕一を支えて滞りなく進行することに私は集中しました。冒頭、私の詩朗読のピアノ伴奏は少しさまよいましたが私がカバーしました。そして裕一のピアノ即興ソロ演奏。まさに裕一の世界観を見事に表現しました。子どもの頃からリサイタルを積み重ねてきた経験が活きました。惚れなおしました。そして第2部、奥野さんの物語朗読は堂々たるもの。裕一の伴奏はやはり硬いものでしたが、無事に役割を果たしました。第3部、メインの大前さんのダンスはもちろん素晴らしいものでした。お客さまも感動していたそうです。裕一も舞台袖から見つめていました。

楽屋に戻った私は、裕一を支えて滞りなく舞台を務めることはできましたが、とても疲れていました。ソファで少し横になり、元気を取り戻すと、無事に昼の部を終えられたことに、感謝とポジティブな気持ちが湧いてきました。そして大役を立派に務めた裕一をねぎらい、褒め、励ましました。考えてみれば、出演者4人の中で、裕一の出演時間が一番長いのです。舞台に最初に登場し、1人でしっかりと挨拶し、私の詩の朗読を伴奏し、自分の即興ソロ演奏を弾き、続いて登場した奥野さんのインタビューに応え、奥野さんの朗読、大前さんのダンスに即興演奏でコラボする。メインの大前さんのソロダンスが終わると最後に再び舞台に登場してインタビューを受ける。最初の堂々たる挨拶だけでも私にはとても真似できないものです。本当に素晴らしい。夜公演に向けて、裕一をねぎらい、褒め、励ましました。「とにかく自由に、裕一らしく弾けばそれでいい。裕一の演奏は本当に素晴らしいのだから」と。

夜の本番は、私も心から楽しめました。単なる出入りの合図ではなく、物語や、裕一からは見えないダンスのニュアンスまでを、手と上半身と表情で裕一に伝えることができました(昔、指揮者の経験が長かったので(笑))。裕一もあらゆる面で昼公演より落ち着いて意欲的に演じていました。一つだけ欲を言えば、第2部最後の裕一のソロ演奏で、裕一らしい表現力を存分に発揮できればこれ以上ない満点でした。でも、朗読の伴奏であること、それに続く大前さんのダンスが今回のメインであることを考えると、控えめでよかったと言えます。そして昼公演より夜公演の方が格段によかったことが素晴らしい、将来につながる成長の証です。

リハーサルから本番まで、さまざまなハプニングがありました。その都度それを誰かがカバーして、関係者全員で素晴らしい昼夜2公演をつくり上げることができました。私たち父子それぞれのパフォーマンスよりも、助け合い、協力してつくり上げた経験が、今回何よりも得難い貴重なものだったと感じています。これからもそういうふうに、仲間とつながり協力して、舞台や人生をつくって行きたいと思います。

今回ブッキングして下さった奥野さんと出会ったのは2017年掛川茶エンナーレでした。その舞台を企画して下さった平野雅彦先生も夜公演にお越しくださいました。その平野先生とのご縁をつないで下さった彫刻家の木下琢朗さんの個展に公演翌日の今日、お邪魔することができました。音声SNS/clubhouseの「グローバル共和国」でつながった仲間をはじめとする友人たちも駆けつけて見守ってくれました。

本当にありがとうございました。皆さまに感謝申し上げます。

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