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DAY9 愛ってなんだ

担当:こむぎ

角田光代『愛がなんだ』
顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの、もしくはもっとかんたんに気が合うでもいい、プラスの部分を好ましいと思いだれかを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子どもじみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをしてて、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。
(噛ませ犬、当て馬・・・・・・言いかたは忘れちゃったけれど、つまりそんなようなものである)
「ねえ、恋人ができたときにさあ、その恋人を身内と考えるか、一番したしい他人と考えるかって、二通りあるでしょ?身内派は、恋人に絶対気をつかったりしない。みんなで飲んでるときも、ビールついだりお皿まわすのは恋人が最後、他人派はさ、したしき仲にも礼儀あり。ちゃんと友達よりも優先してくれる。わかる?田中は絶対、身内と考えるほうだと思うんだ。ああいう子って絶対、彼女にたいしてわがままにふるまうよ。母親がわりみたいにさ」
(この女、ひょっとして大嫌いかもしれないのに、なんか嫌いになれないのはなんでなんだろう)
「・・・(略)・・・あたしはさ、男尊女卑はおかしいって思うわよ?思うけど、それを正反対にひっくりかえしたって世のなかはよくなんないわよね?女がえばって男を思うように動かしてさ、男がへいこら言うこときいたって、それは平等とは言わない。あたし葉子を見てるとそんなこと思うのよねえ。あの子がやってることは女の進化じゃなくて退化なのよ。ねえ、テルコちゃんそう思わない?」
(好きになってごめんなさいと、あやまんなきゃいけないような気がするときもある)
矢田耕介の顔を、今私は思い出すことができない。思い描こうとすると、あらわれるのは顔の部分だけがマモちゃんの、背の高いがっしりした男だ。それで私は思うのだ。だれだってかまいやしないのではないか、と。矢田耕介でもマモちゃんでも、なんのかわりもないんじゃないか。そう思うとしかし、彼らがなんだか気の毒になる。たまたま私のそばにいたというそのことが、あわれむべき何ごとかに思えてくるのだ。
(好きになってごめんなさいと、あやまんなきゃいけないような気がするときもある)
海から帰ってきたら、なんだかなんでもどうでもよくなっていた。あるいはそれは、三十九度近い熱のせいなのかもしれない。だったら、熱がずっとでてくれていればいい。そうしたら私は田中守から自由になれる。というよりも、彼に気に入られたいという自分の気持ちから。
(あといくらでもがんばれるって思ってんのに、どうやら何かがダウンしはじめる)
「あとでばっくれちゃおうよ。マモちゃんはあの人とふたりになりたいみたいだし。ね?」
「まじ?」神林くんは笑う。「そうだよな、親友のために協力しなきゃな。じゃ、二次会いくあたりで消える?」
私はピースサインをつくって女子トイレに入る。満面に笑みを浮かべた自分が鏡の向こうにいる。思いのほかうまくことは進むかもしれない。焦げ茶めがねの好青年に私はまったく興味が持てないが、けれどきっと寝ることはたやすい。何しろ、彼とともにいるかぎり私は永遠にマモちゃんを失うことがない。
(もしほしいものがそこにないのなら――――――――――)
私を捉えて離さないものは、たぶん恋ではない。きっと愛でもないのだろう。私の抱えている執着の正体が、いったいなんなのかもわからない。けれどそんなことは、もうとっくにどうでもよくなっている。しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも。
(もしほしいものがそこにないのなら――――――――――)

テルコは、自分に自信がないのかな。読んでいくなかで、テルコという人間を形作るのが、マモちゃんという他人であることを感じた。恋愛に生きることは(もはや恋愛でもないのだろう)、本人が幸せならいいのかなって思ってたけど、結局テルコも自分の気持ちに苦しめられていることがわかる節があった。恋愛って、どうしてこうも人間の心をがっしり捉えるんだろう。愛と恋と執着のちがいってなんだ。

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