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DAY4 「合理的」って便利な言葉だね。

担当:葉月

 私は前回『7番房の奇跡』という映画をこむぎに紹介し、作中に登場する冤罪や誤認逮捕というテーマについて触れました。(決してそれがメインテーマの映画ではない)
 これは、単に感動した映画をこむぎに紹介したかったという意図もありましたが、法学を学ぶ彼女ならきっと冤罪について詳しく触れてくれるだろうな、教えてくれるだろうな、という想いもありました。高度情報化社会の昨今、調べれば大抵のことは知ることができますが、私はあえて、こむぎの言葉で聴きたいなと思ったのです。

 そして期待通り、こむぎはこのテーマについて掘り下げてくれました。嬉しい!
 実際の判例とかも用いてくれてとってもわかりやすかった。ありがとう☺ 

「それでもボクはやってない」、実は観たことないんだよね。冤罪を扱う映画の代表例だし、大学の講義でも何度か触れられてたからずっと気になってはいるけど、機会を逃している…。
 そして、犯罪事実の認定のためには「合理的疑いを超える証明」が必要なんだね。こむぎの言う、「真実」と「事実」が違うっていうのは本当にそうで、むしろ両者が完全に一致するなんて不可能に近いよね。

 こむぎの説明を読んで、裁判の難しさって、財務諸表監査と通ずる部分があるなってふと思った。

 株式会社は株主に出資してもらうことで成立するから、経営者は株主に会社の業績を正しく報告する必要があるのね。この報告書類が「財務諸表」と呼ばれるものなんだけど、株主は手放しではこれを信頼できない。だって会社は利益を大きく見せようとするものだってことはごくごく普通に想像できるから。そこで、経営者が作成した財務諸表が適正に作成されているかどうかについてチェックするのが公認会計士が行う財務諸表監査ってものなの。

 でも、この監査を行う上での固有の限界(時間や人的資源の制約など)ってものがあって、その性質上会社の行ったすべての取引や出入金について網羅的に検証することは現実的に不可能だから、監査人は「財務諸表全体に重要な虚偽表示が無いかどうかについて、合理的な保証を得なければならない」(監査基準委員会報告書200 5項、12項)とされているのね。ここでの合理的な保証というのは、絶対的ではないが高い水準の保証を指しているよ。

 以上のような監査に求められる保証水準においても「合理的」という言葉が用いられていたな、っていうのを裁判における犯罪事実の認定の話を知ったときに思い出したよ。

 裁かれる個人の人生がかかってる裁判とはその「合理的」が示すニュアンスはかなり異なるけど、どちらも不正を発見・是正する統制的な仕組みとしては似た性質もあるのかなって思ったり。

 100%絶対的な裁判や監査はできないと分かった上で、それでもなおそこを目指していく姿勢が両者には求められていると思うし、そこにはきちんと意義があると私は思うな。どっちも難しい仕事だね。


 あと、韓国の俳優さんに限らず外国の俳優さんの演技が上手く感じるのは、まず外国語だから母国語だと気になるようなぎこちなさだったり違和感だったりを感じないってのと、その俳優さんの演じてない姿を知らないから、演じる役とのリンクがより強く感じられるからなのかなって思ったり。
 そういう理由もあって私は最近は邦画よりも外国の映画を観る方が好きだな~
 何度も観ようとして断念してる「インターステラー」そろそろ観たいね😌


 あと最後に、最近ゼミの中で「化粧」について話し合う機会があって、それが面白かったから共有するね。

 こむぎはどういうときに化粧する?何のために化粧する?
 あるゼミ生は、化粧をする意味を問われた時に「自分のため」って頑なに主張する女性がいること疑問を感じていて、それについてメンバーで話し合ったんだけど、化粧についての考え方って人それぞれで面白いなって思ったよ。
 私の場合は、もはや何のためにするかとか目的を意識するまでもなく、「服を着替える」「寝癖を直す」といった行動と同様に習慣の中に組み込まれたものになってる感じ。
 私と同じような考えの人は結構多数派だったんだけど、そんな私たちが習慣として内面化してしまった「女性は化粧をしなければならない」という社会規範に対して、疑問を感じている子がいることがとても興味深かったし、そういうなぜかどうしても看過できない社会に対する違和感って、社会学を学ぶ上で大事な感覚だよなって改めて感じた出来事だったな。


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