見出し画像

吸血鬼の娘。

「吸血鬼たるもの、紳士、淑女たれ」
これが一族に伝わる家訓だ。
両親は、ことあるごとにこの言葉を持ち出しては、私を諭した。
でもさ、と私は思う。
それって時代錯誤じゃない?
サービス残業で過労死寸前の父や、パートを掛け持ちして休みなく働く母を見てると、どこをどうすれば紳士、淑女なんていえるのか、甚だ疑問だ。
確かに、両親はいつだって礼儀正しくて、お人好し過ぎないかと思うほどの善人だ。地域のボランティアも、頼まれれば、時間の許す限り、残りHPを無視して参加している。
ーーNOと言えない吸血鬼。
それが私から見た両親の姿だった。
対面ばかり気にして、虚勢を張るのがそんなに大事?
私はそんな吸血鬼のメンタリティを、いつしか疎ましく思うようになっていた。

「おはよー」
「おはよ」
「相変わらずローテンションの朝だねぇ。また授業中に寝ちゃだめだよ、眠り姫」
「うるさいなぁ。しょうがないでしょ、そういう血筋なんだから」
「でも、あんたのお母さん、今日も朝の交通ボランティアに出てたわよ? でね、」
「どうせまた、貧血でフラフラしてたんでしょ。で、今日はもういいよってペアの人に帰されたってオチ」
「体弱いのにちゃんと出てきて偉いよね、お母さん」
「それで相手に心配かけてちゃ意味ないっつうの」
「そうかなぁ?」
「体調が悪いなら、無理しないで断ればいいのよ。なんでいつもいつも……」

その日の英語の授業中。
いつものようにうつらうつらしていると、教室の扉をノックする音がした。クラスがざわめく。
先生は怪訝そうな顔をして扉を開けると、外には教頭先生の姿。ひどく深刻そうな顔で話をしている。
不意に、私の名前が呼ばれる。
「君のお父さんが、仕事中に倒れられて、病院に運ばれたそうだ。急いで帰る準備をしなさい」

私は急いでカバンを持って、校門を出た。学校の前では、スーパーの制服姿のままの母が、タクシーと一緒に待っていた。
母は「早く乗りなさい」と私を奥の席へと押し込む。座席にはパンパンに膨らんだリュックがあった。着替えだろうか。すぐさま母も乗り込み、ドアを閉める。と同時に、タクシーはすぐに病院に向けて走り出した。
母は唇をきゅっと噛み締めて、何も語らない。ただならぬ様子に、私は何も聞くことができなかった。

「今夜が峠です」
医者はレントゲン写真を見せながら、父の病状について、淡々と説明を続けた。母はただじっと黙ってその話を聞いている。
私は混乱していた。
吸血鬼って、弱点だらけのくせにプライドだけは高くて、そう簡単には死なない。それがたかが病気で、あっさり死んじゃうはずないじゃない。一体、何が起きているっていうの?
激しく巡る感情の渦。だんだん眼の前が暗くなり、私は意識を失った。

目が覚めた時、私は簡易ベッドの上に横たわっていた。心拍数を知らせる機械の音が聞こえる。横を向くと、母の背中が見えた。きっとここは、父の病室だろう。
「お母さん……」
私が声をかけると、母は目元を袖で拭い振り返った。
「大丈夫? 調子悪いところない?」
「うん。お父さんは?」
「今は少し落ち着いたみたい」
私はゆっくりと起き上がって、父のそばに行く。何かに耐えるような険しい表情。呼吸が苦しそうだった。
「吸血鬼って、不死身なんじゃないの?」
私は母に尋ねた。
母は父の手をさすりながら、答える。
「ええ。吸血鬼は不死身よ。滅多なことでは死なないわ。……そう、吸血鬼ならね……」
「え、それって……?」
「あなたのお父さんは、普通の人間よ。吸血鬼じゃないの」

あんなに一族の誇りやら使命やらを語っていた父が、ただの人間? 
うろたえる私を、母は隣に座らせると、静かに語り始めた。

二人が出会ったのは、学生時代だった。母は生まれながらの吸血鬼で、正体を隠して生活していたのだという。食事である血液は、センターと呼ばれる配給所から送られてきていたのだという。
ところがある日、大きな地震が起きて、ライフラインや交通網は寸断され、センターからの血液が届かなくなってしまった。避難所生活にはならなかったものの、人間の食事で空腹を紛らわせる日々が続く。しかしそれは、吸血鬼にとっては必要な栄養(正確には精気と呼ばれる非物質的な要素)が不足し、正気を保つのが難しくなっていった。
気がつくと血を求め、停電が続く真っ暗な夜道を、夢遊病患者のように彷徨うようにまでなった。
そんな母の前に現れたのが、近くに住んでいた父だったのだという。
様子がおかしいことに気がついた父は、母から半ば強引に事情を聞き出し、自ら血を提供した。
父は「困ったときはお互い様だからね」というのが口癖なのだが、これは生来の気質だったらしい。
この時、一目惚れした父は、母のためににんにくを食べるのをやめたらしい。

「私は全然気にしていなかったのだけれどね。でもその優しさには感謝の気持しかなかったわ」
母は愛おしそうに父の顔を見つめる。

そして、惹かれ合った二人はやがて結ばれ、私が生まれた。

「お父さんって、お母さんに血を吸われたんだから、吸血鬼になってるんじゃないの?」
母は小さく笑って答える。
「お父さんは、自分が吸血鬼になってしまったら、必要な血が2倍になってしまうからって、自分が吸血鬼にならないように、血を抜き取ってから分けてくれたの。最初は手首を切ろうとしたから、それじゃあなたが死んじゃうでしょって必死に止めたりしたこともあったわ。お父さん、左の手のひらに十字架の傷があったでしょ。あれは私に血をくれるために、何度もつけた傷だったのよ」
小さい頃から父は左手の傷は、昔、ヴァンパイアハンターと戦ってついたと聞かされ続けた私。すっかり父に騙されていたことが分かり、ちょっと腹がたった。私の元にも、いつかヴァンパイアハンターがやってくるのではないかって、内心びくびくしていたのが馬鹿みたいじゃない。

やがて消灯の時間が来た。
窓から差す月明かりが、私達家族を照らす。
父は時々苦しそうに顔をしかめる。母はその苦しみを分かつように、手をさすっている。
私はそんな二人の姿を見ながら、哀しくも、美しいなと思った。
きっとこの二人が歩んできた道は、平坦なものではなかったはずだ。人間と吸血鬼の文化や在り方の違い、災害からの復興、社会に出て働くということ、子供を育てるということ。
そんな二人が、今夜引き離されてしまうかもしれないのだ。
もしかしたら、父を吸血鬼にしてしまえば、命を長らえるかもしれない。
でも、私はそれを母に言い出すことはできなかった。父は母を守るために、人間であり続けることを望んだのだから。
私はただ、この二人が少しでも長い時間を過ごすことを、祈ることしかできなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?