ゆう

大阪暮らしの23歳です。

ゆう

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最近の記事

可愛い人と喋るのめっちゃ緊張する。女やのに。

    • わたしの断片

      久々に帰ってきたJR大阪駅のホームで流れてくる、「やっぱ好きやねん」で泣きそうになったり いつもは不愛想なバイトの先輩に優しくされてちょっと不安になったり ギターが上達しなくて落ち込んだり お金ないくせに衝動買いしてあとで途方にくれたり 飲みかけのペットボトルが三本くらいあったり 冷たくされたから冷たくしかえしたり 眠たいのにあの言葉が気になって眠れなかったり 気付いたらジャルジャルのコントをYouTubeで片っ端から見ていたり 期待値が上がりすぎてプレッシャ

      • カップ麺について私が思うこと

        カップ麺を買うとき、少し寂しさに見舞われる。 ただ腹を満たすためだけの食事をとらざるを得ない自分に対する憐れみだろう。 とか言ってるけど、正直、めっちゃ美味しくいただく。焼きそばの湯を捨てに行くときなんて、若干スキップしそうになってるときだってある。「あぁうまっ」とか言いながら食べるし。そういうとこ、やっぱりまだまだ子どもだな、と思う。高校の頃、「明日は弁当作られへんから、ごめんやけどコンビニで買ってな」と母にお金を渡された時、正直ワクワクしていたのを思い出す。母の弁当は

        • コーヒーおかわり

          二杯目のコーヒーを飲もうとしている。だいたいコーヒーみたいなものは一杯飲んだらおしまいだろう。そんなにがぶがぶ何杯もいく飲み物ではない。「コーヒーおかわり」などとはあまり聞いたことがない。でも、二杯目をどうしても飲みたくなった。迷った挙句、やっぱり飲みたいので飲むことにする。 フーフーと冷ましたが、飲まずにまた机に置いた。猫舌なのだ。 コーヒーを飲むくせに、猫舌。何か矛盾のように感じた。矛盾とまではいかなくても、どこか不釣り合いだった。 湯気の立つマグカップの横で、私は

          無意識のちから。

          無意識って聞くと、マイナスイメージが先に浮かぶのは私だけだろうか。 「無意識だからしょうがないよ」とかいうセリフ、無意識のうちに人を傷つけてしまうような切ないヒューマンドラマ。 この世界、すべて「意識」で成り立っていたらもっとシンプルだったはず。そう思ったりもする。 されど、「無意識」が世界にないわけにいかない。 「無意識」は、ときに美しい。 今の時代、意識と無意識のボーダーラインがなくなってきたと思う。 無意識を意識的に演出する時代。 シャッター

          無意識のちから。

          好きだということ。

          好きすぎて切ないということが、よくある。 あ、その、恋愛に限った話ではない。  「好き」にはいろいろな感情がミックスされていると思うのだ。 単純な好きという感情に加えて、自分がそれをしたりつくったり、それに近づいたり「できる」という便宜、ポテンシャルといった所謂「力」。 反対に、浮き彫りになる「それ」との距離、限りなく近づくことはできても、独り占めできないこと、ましてや自分自身が「それ」じゃないこと、「それ」になることはできないことによるやるせなさ、悲観、嫉妬。

          好きだということ。

          対人関係について。

          人間関係ってほんとにむずかしい。いつも一緒にいる親しい人に対して、誠に身勝手ながら急に、なんかちょっと違うなーとか思ったりする。 「親しい」関係と、その人に対する「良い」というインプレッションは異なるものだと思う。仲が良くても、その人の性格や行動、価値観に対して「良い」と思えない場合もある。 自分はその人じゃないから、その人の言動、心境をすべて理解することはできない。どれだけ仲が良かろうと、愛してようと、苛立つときもある。あるいは、軽蔑するときだってあると思う。 自分が

          対人関係について。

          はじめまして。

          はじめまして。ゆうと申します。note初投稿です。 これからこのnoteにいろいろなことを書いていこうと思ってます。 私は大学3年生で、今まさに夏休みを満喫しております。 満喫と言っても、ほぼ家でだらだらと過ごしているのですが。 このところ毎日起きるのは大体昼前です。なので、一日の後半からスタートするわけですね。 こんな実家での極楽生活ももう少しで終わってしまうと考えると、悲しくて、寂しくて、つらい限りです。 私は普段、大学の寮に住んでいて、1部屋に4人で生活して

          はじめまして。