見出し画像

父はきれいなガイコツだった

最近note散策をよくします

そこで、気づいて反省や逆に感動もたくさん得られたり、感謝してます。

今回は、父のことを忘れてない、母の後悔、誰かが支えている、病院のじいちゃん、父からのお知らせ、父の願い、きれいなガイコツ、の話です

忘れてない事を

とのむらのりこさんの

記事で共感しました

そして、お父様のご冥福をお祈りします

今回は企画の文字数は超過してます。けれど、気持ちをお伝えしたいので、共感したこと、『忘れられない想い』を
忘却してしまう自分への記録として
ここに残します。


私の父への思い出

常に空で見守ってくれてるんだと

ずっと感じてます。

あの日の記憶は、思い返すと

次男には、まだ幼く印象的過ぎた事。

娘の私の立場では、悲しく辛い事だった。
でも、母だったので、息子達にさとす様に話す事で、自分自身が、すぐに前を向いて

歩いて行けた。生きて行けたんだと、、。

あの日の

父、母、弟。そして、息子達に感謝します。


父のことを忘れてない


忘れられない想いが確かにあった。

もう

私の父は25年くらい前に

肝臓がんで他界した

私は、おなかに末っ子がいたころだった

動きづらい時期にかなりショックな出来事

頭の中でたくさんの思い出たちが流れでた

『お父ちゃん!寝てる?

めっちゃ、お父ちゃん、眠ってるやんか、なあ、お父ちゃん!』って

話しかけてしまうそうになった

傍らで、母は涙しながら話してた

看病でずっと横にいたのに

あの日のあの時に限って

母はウトウト寝てしまった

毎晩、痛みを訴えては母が手でさする事が

日課のようになっていた

父はひとりで眠るように逝った

母も横で居たから安心してたんだろう。

お母ちゃんありがとうって思った


母の後悔


母からすれば、後悔しかなかった

泣きじゃくっていた

『なんでやの!お父ちゃん!おこしてくれたらええのに〜うちが気ぃ付かんから先に逝ってしもたん?ウチが、、』 

母は、自分をせめて泣いていた

弟はずっと泣きながらも、

母の背中をさすりながら宥めていた


誰かが支えている

当時は、余命宣告や病名を

本人に直接伝えなかった

ドクターが、家族である私達に

父の病状を説明して下さった

年末に『余命3ヶ月』だと、癌も末期だと

全身へと転移していると話された

春にはもう、、、。


~~~~~~~*


その頃

父は病室のベットで寝ていた

父には事実は伝えない事にしたからだ



母がひとり

看病していた

本心を母には聞いていないが

辛かっただろう

毎日父の隣で簡易ベッドを置いて寝る

毎日父の看病で向き合う

だけど

母が隣にいてくれたから

父は癌のラストステージも過ごせた

看取りとは、こうして寄り添うことなんだ

母には感謝しかない

病院のじいちゃん

何度か息子たちを連れてお見舞いに行った

3人連れては行けない

身重のわたしには厳しい

お義母さんに

2人預けて何とか面会に行けた

幼い息子たちには、

あまりじいちゃんが

大変でしんどいのは、わかりにくかった


じいちゃんいつも横なってたけど

笑顔で話すし抱っこしてくれた

頭を撫でてくれた

小さい君たちには

大人の事情はわからなかったよね

~~~~~~~*

父からのお知らせ

私は、夜中に寝苦しくて起きた

同じタイミングで

横にいた旦那が目覚めていた

その時

ガタガタと戸が風に揺らされた

音が止まらなくなる

玄関のドアが

ガタガタ響いてなぜか風が通り抜けた

室内をスーッと空気が舞った

暫く漂って消えてしまう感じがした

2人とも固まって動けなかった

そんな数秒後に

電話がりり〜んと鳴った

素早く旦那が電話に出た

病院から

いま父が息を引き取ったと知らせだった

~~~~~~*

画像2

父の願い

父は沖縄の離島で生まれた

11人兄弟の9番目と聞いている

15歳で親と進路の話でけんかになり

大阪の叔母を頼りに船で渡って来たのだ

数十年後

知人の紹介で母と出会い結ばれた

『この人を幸せにしてあげたい。ずっとそばでいたい。自分が守り続けたい』

っと父は話していた

~~~~~~*

父はどこに行ったんだろう

『ずっとお母ちゃんと一緒におるねん!』って

ゆうてたやん、、しやのに、、、。

余命宣告って残酷だ。

3か月が乗り越えたから期待した娘は

こんな日が来るなんて思えなかった。

もうずっと大丈夫なんだと思ってしまった

だから今でも覚えている。

父の願いも忘れてない


『ワシの骨は沖縄の海にまいて、、墓はいらんで!海の近くでいてたいねん』



きれいなガイコツ


葬儀後焼き場で 父のお骨ひらいをした
まだ4歳だった次男が、一緒に参加した

『わぁ~めっちゃきれいな

ガイコツやぁ~!


じいちゃん ほねになってしもたん?』

って叫んだ

癌の末期で全身転移していた父の

こうべは確かにしっかりと残っていた

〜〜〜〜〜※


次男は、毎朝通園の道で 

『母さん!じいちゃんなぁ〜めっちゃきれいな

ガイコツやったなあ!?


じいちゃん ほねになってもうたなあ?ガイコツきれいやったなぁー?』

って話し 止まらなかった


その後1週間は、毎朝そう話していた 

幼な子には、印象的なものだったんだろうか

ガイコツ=死んだ人

間違ってない

あまりにリアルで強烈な気がして

私にもその記憶は、怖く感じた


ガイコツ=じいちゃん

ガイコツのじいちゃんは

その後お空に飛んでちゃうんだと

星になってしまうんだと

話して促していた




『じいちゃんはなぁ、お星さまになってもたんや。けどなずっとお空から
あんたのことを見ててくれてるんやで』

っと幼い次男に話したが

次男の手には

ガイコツのキーホルダーがにぎられていた


じいちゃんは

きれいなガイコツだった


大人になった次男は

覚えてはいなかったが

何故かガイコツのキーホルダーは

記憶に残っていたのだった






おしまい

よろしければ、サポートして頂けましたら助かります。お気持ちだけでも、励みになります。投げ銭でも、明日への活力になります。よろしくお願いします🤲