蜂起 [short story]
とある遠い遠い国の、人里離れた山奥に、まったく馬鹿げているほど巨大な工場が建っていた。中には何千人もの、何万人もの従業員がひっきりなしに働いている。大小様々な無数のパイプが天井を這い、延々と続く長い長いベルトコンベアーが折り重なって広い敷地を埋め尽くしている。納期を控え、従業員たちは多忙を極めていた。
流れてくる不良品を手早く選り分けながら、従業員の一人が隣の者にこう呟いた。
「なぁ、日に日に仕事のノルマは高くなってくばかりだけれど、俺は昨日また給料を下げられたんだ。お前はどうだい?」
隣は応えて、
「俺もそうだ。こないだ夜遅くにちょっとウトウトしてたのを目ざとく人事に指摘されてな、それで減給にさせられちまった。お前も昨日人事に言い渡されたのか?」
「その通りだ。俺は作業服が汚れていたことをこっぴどく叱られたんだ。スープが撥ねたちっちゃなシミだぜ?あんまりだよ。」
「ちょっと待ってくれ、俺たちも昨日減棒させられたんだ。」と、反対側で作業していた男も聞きつけて声を上げた。
「俺たちのラインから一個不良品が見つかってな。連帯責任でこのラインの奴らは全員10%カットを言い渡されたんだ。」
さらに向こう側で計器とにらみ合っていた男も、
「俺もだ。まさに昨日、このメーターの表面に埃が被ってるとか何とかで罰則食らわされたんだよ。先週も居眠りを見つけられて給料下げられたばかりだったのに、来月はどうやって仕送りすればいいんだ・・・。」
「ちくしょう、最近は何かにつけては減棒させられてばかりだ。俺たちだって朝六時に起きてそのまま深夜過ぎまで、ほとんど休憩なしで働き続けてるのに。」
「たしかにひどい。おまけに近頃はノルマの締め付けがますます厳しくなるばかりだ。最近は原材料費が跳ね上がってるとか、商品が複雑になってるとかで、ただでさえ基本給が削らされるのに……。」
「それでいて、上の奴らは何かにつけて『納期に間に合わない』の一点張りだ。夢を与える仕事だとか言われても、実感なんて微塵も沸かないよ。」
「休みもほとんどありゃしない。全身クタクタなのに睡眠時間すら十分に取らせてもらえないんだぜ。おまけに寮は寒くてろくに寝られやしない。同じ部屋の奴は凍傷になっちまった。そこでまた仕事中に居眠りしたら減棒、残業だ。ひどく搾取されてるよ、俺ら。」
「そうだ、俺たちが何も言わないばっかりに、工場長がいい気になってやがるんだ。いつまでも俺らを自由に使えると思ってたら大間違いだ。あいつは俺たちを何だと思ってるんだ。」
向こうのラインからも、こちらのラインからも、そうだそうだ、という声が上がり始める。募っていた工場への不満が、少しづつ溢れ出ようとしていた。
「俺だって最初は誇りを持ってここに参加したつもりだったさ。確かにこれは夢を与える仕事だよ。親父から受け継いだ名誉ある職場だ。だけどどうだい? 世間からこの工場が覆い隠されてるばかりに、工場長は俺たちの事をこき使い放題だ。最悪の労働環境だよ。来る日も来る日も途方も無い数の商品を作り出してく。睡眠時間は削られる。寝床は汚くて狭くて寒くて、豚小屋みたいな部屋だ。精一杯働いてても伴うものがない。人事は俺たちのアラを探しては減棒しようと手ぐすね引いてやがる。……工場長と俺たちが上手くいってた時期もあったみたいだが、もうそんな古い時代じゃないんだ。もっともらしい崇高な理想はたくさんだ。あいつだって今や有名無実じゃないか。まったく、俺たちは何をしているんだ!」
計器の前に陣取っていた男が、ゆっくりと立ち上がると、座っていたパイプ椅子を乱暴に畳んで両手で振り上げた。
「もう―――我慢の―――限界だぁ!」
パイプ椅子を計器に叩きつける。プラスチック板の割れる音が鋭く響いた。男は何度も何度も計器に叩きつける。もはや周りは静まり返っていた。大きな鈍い音を立てて針が全て動かなくなると、男は床に椅子を放り投げながら声を荒らげた。
「俺はこれから工場長の部屋へ行くぞ!俺たちは奴隷じゃない。ちゃんとした給料と、たっぷりの休憩と、暖かい寝床を工場長に要求しに行くんだ。それすらも聞いてもらえないんなら……こっちからこんな職場なんて願い下げだ!」
ひとり、またひとりと、男の後に続いてく者が現れる。やがてそれが数十人、数百人に膨れ上がっていく。別のセクションからも大勢が合流し、声を張り上げながら工場長の部屋へ行進は続いた。中には工作機械を壊し始める者もいる。工場全体を巻き込んだ暴動へと発展しながら、男たちは工場長の部屋に迫っていた。
ピカピカに磨き上げられた床。曇りひとつない大きな窓。ガラス張りされた書斎棚。整頓されたデスクの上……。広々とした部屋の真ん中にある、がっちりした椅子の上で膨大な注文書を睨んでいた工場長は、ふと窓の外に目をやった。降り続ける雪が工場の屋根を覆っている。工場長は立ち上がると、部屋の角にある洋服棚へと歩み寄った。クリーニングから返ってきたばかりの、真っ赤なオーバーとズボン、そして防寒靴。こいつの出番も、もう間もなくだ。たっぷりとした白い顎髭を撫でながら、工場長はプレゼントを渡した時の、嬉しそうな子供たちの顔をにっこりと回想していた。一方で、最近は文句ばかり言うようになっている小人たちを憂う。少子化と原材料費の高騰で今や経営状態も悪い。昨日も徹底的に予算を切り詰めるように指示したばかりだ。机の上の注文書を一瞥して溜め息をつきながら、ふと、遠くから響いてくる無数の足音のような地響きを聴いた。
年の瀬も迫る十二月の、ある寒さの厳しい一日だった。
(2007)
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