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3月のシーン月記「ありとあらゆる多面性」

0312
コナコーヒーが好きで、喫茶店のメニューでコナコーヒーを見つけると頼むことにしている、そして今日も。
私「コナコーヒーひとつ」
店員「あ!すみません、ハワイコナ、今日あんまりハワイコナじゃないのしかなくて、、、」

『あんまりハワイコナじゃないのしかない』をどう解釈したらいいのかわからなかった。ちょっとバリとかグアムっぽいみたいなこと?ばか?


0311
木蓮が散るのを見た
0319
上記の木蓮について
2年住んだ家の前の道、ずっと木蓮並木だと思っていたけどコブシ並木だということが発覚した。もうすぐ引っ越す、引っ越す前に知れてよかった〜。あれでも、てことは去年まで見てたあの白い花は?君とのあの会話は嘘になるの、?【自選シーン月記に続く】


0315
友「あれチャットモンチーの曲の『気がつけば春』みたいなのなんだっけ?」
ヨ「振り向けば春?」
友「振り向けば恋じゃない?」
ヨ「...んーにゃ違うな、何すれば何だっけ?」
友・ヨ「...あ、風吹けば恋だわ」
風吹けば恋/チャットモンチー

0317
「そういうのあらゆるアレである」
気持ち良いくらいコンテキストに頼っている。


0318
・「チャンピオンって言えばいいですか?今のチャンピオンは、恥ずかしい気持ちです」
・「利き手ってどちらですか?」「あ、ご飯食べるのは右、星を数えるのは左です」
大好きなコントの中で出てきた言葉。これが聞きたくてなんども見返した。


0319
夜、恋人と電話をした。「好きなうたを読んで聞かせてよ」と言われて岡野大嗣さんの「たやすみなさい」を手に取った。付箋の貼ってあるページ(好きな短歌には付箋を貼ることにしている)をてきとうに開く。
「ゆぶね、って 名前の柴をk      あ   あれ」
右のページの黒い点。
潰れた虫だった。
わたしの好きな岡野大嗣さんのたやすみなさいの中の好きなうたのページにちょうど、なぜか、挟まれて死んでしまった虫よ。わたしには絶対に死ねない死に方。わたしはたやすみなさいに挟まれても死ねない。アーメン


0324
おやすみなさい は家族との魔法の言葉だからご近所さんには緊張して言えないってハライチの澤部さんが言っていた。
マンション育ちの私はご近所さんにも自然に おやすみなさい と言える。けれどどうしても いってらっしゃい は言えない。出てこない。私にとって いってらっしゃい こそ家族や恋人や同居人にしかスムーズに言えない魔法(呪い)をかけられた言葉だと思う。
この手のなかなか言えない魔法の言葉の話を誰かとしたい。

さしあたっていってらっしゃいの魔法をとくために いってきます はカジュアル敬語っぽいのに いってらっしゃい はカジュアルすぎ、 いってらっしゃいませ は堅すぎという問題を我々は解決しなければならないと思う。


0324
いつも 僕 という一人称を使う後輩の口から 俺 という音が出るのが聞こえた。私にとってのこの子にとってのこの子は 僕 で 俺 ではない。わたしにとってのこの子にとってのこの子は実は 僕 だけでなく 俺 という側面も持っていたのか。へえ、そうですか。そっか。鼻がツンとする


0330
ガソリンを満タンにした。父はこれで700キロくらいは走れる、どこにでもいけると言っていた。ってことは関西くらいなら余裕で行けるね と返して成長を感じた。そう、700キロなら関西は余裕で行けること、私は知ってます。

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